晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(62) 八木町日置-5 12/25

2013-12-27 | 上林地名考

2013.12.25(水)曇り 八木町日置-4は2013.8.17
 「隼人の古代史」中村明蔵著を読んで、律令政府が隼人の地に班田制を導入することに大変苦労している様子が描かれていた。田地を測量し、戸籍を整備することが困難であると言うことは、その地がやはりまつろわぬものの地であるということだろう。薩摩国に日置郷が置かれているのは、新たに征服した地に尖兵として送り込まれたのではないだろうか。出雲国風土記にあるような状況が薩摩でもあったのだと思う。日置氏、日置部には日神の祭祀や太陽観測などの職掌だけで無く、政権の支配を定着させるという使命があったのだろう。
 そういう意味で、薩摩の日置についても研究してみたいと思っている。
 「隼人の古代史」の中に畿内の隼人移配地についての文がある。
 山城国綴喜郡大住郷(京田辺市)、綴喜郡宇治田原郷(宇治田原町)、丹波国桑田郡佐伯郷(亀岡市)が京都府内の移配地である。その他3ヶ所、計6ヶ所が挙げられているが、主要河川、主要道沿いに立地している。氏は移配地の近辺にミヤケ(三宅、屯倉)、イヌカイ(犬飼、犬養)という地名が多いことから、屯倉を守衛する犬養部との関連を示唆されている。オオスミ(大隅国)アタ(薩摩国阿多郡)など直接隼人の地の地名となっている場合も多い。
 室町時代の隼人正(はやひとのかみ)であった、中原康富の日記「康富記」に畿内隼人移配地の詳細が書かれている。
 丹波の隼人移配地は「丹州少所」と書かれているが、少所は氷所の誤りと言われている。(畿内隼人の遺跡と伝承、江谷 寛)
P1040429
 

氷室の郷(八木町)にある案内板。

 氷所(ひどころ)は氷室の郷で有名な八木町氷所で、日置の南の集落である。大送神社(日置)と幡日佐神社(氷所)の間で行われる夫婦神事のこともあり、氷所、隼人、日置が関連してくるのかと期待したのだが、話はそれほど単純なものではなかった。つづく

【今日のじょん】山陰地方はうらにしが続いている。連日のカッパ使用でじょんもうんざりしてそうだ。
P1020043
雨降ってじょん固まる、半落ち、うらにしじょん

コメント
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