晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「日本の風景を歩く 丹波・丹後」(3) 12/4

2013-12-05 | 雨読

2013.12.4(水)晴れ

 優れた紀行文学は既訪の地であれ未訪の地であれ、その地を訪れてみたくさせるものである。丹波生まれのわたしにとって丹後は物理的にも精神的にも異国であった。何度も何度も訪れているのだがなにかよそよそしいものを感じるのである。それはひとえに丹波人の閉鎖性によるものかも知れない。
 丹波の人も文化も丹後や若狭からやってきたと思うし、丹後ったって元々は丹波国であった訳なんだが、わたしの感じる違和感は一体何だろう。
 例えば古代の遺跡を見ても、丹後の古墳の数と規模において丹波の比ではない。過去の優れた文化人だってスケールにおいて丹後は圧倒している。わたしにはチマチマ丹波、豪快丹後という気がしてならないのだ。
 とまあここまではわたしの感想であり、本書とは関わりは無い。本書で丹後は与謝、与謝再訪、丹後路、短かい旅ー峰山の四編である。
 水上先生は丹後半島を与謝半島と呼ばれている。すべての作品においてそうなのか分からないのだが、わたしは至極気に入った。学術的な文には「丹後半島」を使うべきだろうが、文芸的な文には「与謝半島」を使おうと思う。もっとも文芸的な文を書くことがあるか否か難しいところだが。
 水上作品には与謝半島がよく出てくる。「五番町夕霧楼」の夕子の故郷は世屋ではなかったか。「金閣炎上」の林養賢君は世屋から東に見える成生岬の出だそうだ。
P1010551


 

日置から成生岬、手前は栗田半島、黒崎。成相山からは青葉山も望めるという。

  その与謝半島をめぐる道路が無い時分に、難波野から発動機船に乗って半島をめぐる旅が記されている。現在不可能な旅だけに興味深く読んだのだが、半島一週道路が開通した後にもバイパスが沢山出来て、この間走った際にも伊根の舟屋の狭い道路を通ることもなくなっていた。せめて旧道をめぐる旅を実現させたい。
 「ちりめん物語」という小説も書いておられる。大江山はつまり、律儀なちりめん運搬人夫の涙の谷だと思えたのである、という文章からはやはり哀しい物語なのかと思う。
 水上先生は常に弱い者、貧しい者、虐げられた者を題材とされるが、報われることなく死んでゆくので余計に哀しい。
 「あゝ野麦峠」の山本 茂実が松本の生まれなので「女工哀史」の作者も関東方面かと思いきや、細井和喜蔵は与謝の生まれなのである。おわり
※フリーライブラリー設置本

【作業日誌 12/4】柴刈り

【今日のじょん】ラブちゃん改めラブ子ちゃんが来じょん。飼い主さんが決まって、何となく落ち着きが出てきたみたい。じょんとも遊べて嬉しいのだが、若いコと遊んでるとじょんが老けて見えてくるから不思議だ。また、てんちゃん達とも来てよね。P1010913

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする