2014.4.10(木)曇り 穴虫考(39)は2014.4.6
奥武島が葬地であることを最初に提唱されたのはどうやら南島地名研究センターの仲松弥秀氏であるらしい。氏の書かれた「奥武島考」という文が掲載されている書物を見つけ、図書館から取り寄せ中である。読了の暁には再度紹介しようと思うが、基本的には「日本の地名」谷川健一氏の説と同様なのではないかと想像している。沖縄には奥武と名の付く地は7ヶ所あるという。仲松氏の説には個々の奥武島の具体的な情報があるのだろうと期待している。
谷川氏の文中に「名護市の奥武島は明らかに墓地として利用されてきた」とある。名護市の奥武島とは本部半島をめぐる505号線が羽地内海を廻りきった辺り、真喜屋から北にある小島である。真喜屋の浜から100mにも満たない島であるが、奥武橋が架かり奥武島、屋我地島、古宇利島と橋が名所になっている。国土地理院地図で見ると奥武島を南北に貫く県道110号線の両脇にずらりと墓地記号が列んでいる。航空写真でも墓地群が確認され、まさに墓地の島と言っていいだろう。
羽地内海の東端に名護市奥武島がある(写真は真喜屋から6Kmほど西、湧川 2007.3.23)
谷川氏の説は奥武=青であり、本州沿岸に存在する青の島も葬地であろうとされている点である。
ところが沖縄の地名に関するもう一人のオーソリティ、宮城真治氏は奥武について別の見解を持っておられる。名著「沖縄地名考」の中に「奥武島は祓島(はらいしま)の儀」と題した一文がある。
沖縄各地の虫払の儀式、野原廻りとか畦払(あぶしばらい)などで害虫やネズミ、悪風を送り封じ込めたのがオーであって、オーヌシマこそが奥武島だというものである。オーゲーン(すすきの先を結んだもので魔除けに使う)オー餅、オー酒などお供え物などのオーは飜る・扇ぐということであおる、あおぐの意味と解されている。
このことについて葬送の島も祓いの島も同じことではないかと過去に書いた。(雨読 2013.3.23参照)しかし今、両氏の説を落ち着いて比較してみると、虫を封じ込めることと、遺骸を隔離することが同一の意識のもとに行われるか否か判断できない情況になっている。つづく
【作業日誌 4/10】
刈り払い機修理(チエンソーがなおったと思ったら刈り払い機の調子が悪い。プラグとマフラの掃除をしたらなおった。)
マフラに虫が入って故障することがあるそうだ。カメムシがくさいなーと思っていたらこんなところに、、。
ドッグランど草刈り
薪割り
【今日のじょん】最近朝方に吠えることが多い。鹿の場合11時~2時ぐらいなので何だろうなと思っていたら、猪が谷にやってきていた。一度来たところは当分来ないのだが、随分ペースが速い。
ワサビがわやくちゃ、よく見たら初蛇が、、、