晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 幽界と流人の島々を行く(下) 4/16

2014-04-17 | 雨読

2014.4.16(水)曇り

  同書上巻が期待外れだったので(2014.3.19参照)下巻は読まないでおこうと思っていたのだが、付記として姥捨て山に関する記述があるので図書館から取り寄せて読むことにした。
 「幽界と流人の島々を行く(下)」沢潔著 文理閣2001.9第一刷 借本
P1020734

 

 期待外れと言っても内容が稚拙であるとか浅薄であるとかということではなく、こちらの期待する事柄が書かれていないというだけのことなのでお間違いなく。
 そういう情況なので、本書を読破しているわけではない。盛りだくさんの目次の中から、興味がありそうな事柄のみを拾い読みしたということだ。
 拾い読みの
幾つかを紹介しよう。
 
愛宕の語源はアダコで、アダは嵯峨野の仇野(あだしの)のアダのようにはかないところ、即ち墓地を表す。
 これは「京都北山を歩く」にも書かれていて、そのように思っていたのだが、最近他の意味があるのではないかと考えているところである。
 
 
鳥辺山の「トリ」は峠のことをあらわし、いまの渋谷峠からずっと西方、平家の六波羅屋敷や六波羅蜜寺から鴨川東岸までを含む。これまた広大な墓地で、そこにいま六波羅珍皇寺があり、その南にロクロ(轆轤)町がある。ロクロ町は髑髏(ドクロ)町の意で、されこうべの意である。
 これも様々な本に書いておられることなのだが、髑髏町などという地名が考えられるだろうか。素直に轆轤師の町と解してはいけないのだろうか。
 
 
「やぐら」という珍しい墓
 
鎌倉・室町時代に作られた、崖面を四角形に掘り込んだ、サンマイ山とよばれまた、名もない貧者の共同墓地と呼ばれている。
 
やぐらという中世の墓は初耳で、興味が湧くのだが短文で今一つ詳細が分からない。
 さて肝心の姨捨山であるが、オハッセ(小初瀬)が転訛してウバステになったという吉田東伍の説を紹介しているほか、楢山節考や口太山(くちぶとやま・福島県阿武隈山系の山)山行について記しているばかりで、姥捨てということへの深い探求があるものではない。

Img_1280


遠野市のデンデラ野は蓮台野の転と言われている。60才以上の老人が共同生活をしたという。これも棄老の一種だろうか。(2006.10)

 この部分がやや不満なのだが、私自身は姥捨てというのは棄老の事実ではなくて、遺棄葬が伝説として広まったものではないかと考えている。

【作業日誌 4/16】
薪割り
下仁田ネギ(30本)植え付け

【今日のじょん】昨日イルマンさんで買ったドギーシェイクのレインコートがぶら下がっている。永年あやバスコートを愛用していたのだが、今回のは実にデザインがいい。早く雨が降らないかと思ってるのだが、こんな時はなかなか降らない。
P1020756
 

 

 

 

コメント
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