晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の両墓制(15) 両墓制と他界観-7 8/11

2014-08-11 | 歴史・民俗

2014.8.11(月)曇り

 有馬シンポジウム以降の両墓制の研究史としては、竹田聴州氏の両墓制の成立時期について一定の見通しがついた後、両墓制そのものより両墓制周辺の諸問題についての研究に拡大していった。昭和50年代以降になると、葬送儀礼から墓制へ、祖先祭祀から霊魂観という一連の研究が活発になり両墓制そのものの研究は沈滞していたようである。そんな中で両墓制に関して未解決の問題を新谷氏が提起されている。
1、両墓制とは何か、両墓制の概念規定が厳密ではない。
2、両墓制とは古代以来の死穢忌避、霊肉別留の観念にもとづく習俗であるという説と、石塔建立の一般化とともに中世末から近世初頭にかけて成立したという説が並立したままである。
3、両墓制は霊肉別留の観念にもとづく習俗だとしている通説に対して、遺骨改葬の習俗こそが本来の形式とする説があり、議論されていない。
4、近畿地方に濃密で東北、西南地方に希薄、若しくは皆無という両墓制の分布について、その理由が解明されていない。という点である。
 逆を返せば、これらを解決することが両墓制の決着ということだろうか。
 長々と両墓制の研究史について書いてきたが、実は「両墓制と他界観」のプロローグなのである。
 なぜこんなに長いプロローグが必要かというと、両墓制の決着とは自然科学による物質や定理の発見とは違い、先に大間知篤三氏によって造られた術語「両墓制」の概念を多くの学者、研究者が寄って決めようということだからである。そこで得られた結論はより多くの人びとが納得するものでなければならない。納得するためには多くの調査データを見ることも必要だが、今日までの研究史を紐解くことも重要だと思うのである。
 そして研究史を読んでいて気がつくことは、両墓制を見てきて思いついたこと、考えたことが歴代の研究者の考えたことと一致することである。例えば埋墓は遺棄葬が源流ではないかとか、洗骨習俗が伝搬して両墓制のなったのではとかである。それはちょうど胎児が人類の進化の全てをたどるいわゆる小進化のようなものである。つづく

【作業日誌 8/11】草刈り(ドッグランど、薪小屋周辺)

【今日のじょん】台風一過、水はまだ濁っているが随分引いて穏やかになっている。いずれにしても昨年の状況とは大違いで、この地方は幸い大過なく過ぎた。
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2014年12号台風の翌朝(左)と2013年18号台風の翌朝(9.17 右)昨年は井堰が決壊してもこの水位である。

 

 

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