2014.8.2(土)曇り
「墓と葬送の社会史」(森謙二著 講談社)という本がある。1993年発行の新書本で新聞書評を見てすぐに購入したものである。歴史にも民俗にも興味が無かった頃なぜこのような本を買ったのか実に不思議な感がある。しかしその中に墓制葬制に対する法的な記述があったのを思いだし、書架から取り出してみる。すると、第4章 国家による「死」の管理ー明治政府の墓地政策という章があった。この新政府による墓地政策こそ志古田やその他の地域で個別にあった墓が、共同墓地的に一箇所にまとめられた原因では無かろうか。
よくぞ置いていたこの一冊。
王政復古、神道国教化の中で、神葬祭の推進、火葬禁止令(火葬は仏教的葬法であり禁止されたがやがて解除された)、自葬祭禁止(神道、仏教以外の宗教に基づく葬儀を禁止した太政官布告でこれも後ほど解除される)などの法整備がなされた。しかしこれらの法令などは村の墓地に変化を及ぼすことは無い。
地租改正に伴って、「墓所地ハ従前ノ通無税地ト可致事(いたすべきこと)」(大蔵省達)とされた。墓地は江戸時代にも無税(高請除外)であった、これを踏襲する代わりにそれまで曖昧であった墓地というものの範囲や概念を明確にすること、つまり国家による管理が始まった。前述達の直前に、耕地畦ぎわに遺骸を埋葬することを禁止している。そして1874年(明治7年)に内務省地理局発議の「墓地処分内規則」によって墓地の定義がなされた。
第一条 死人ヲ埋メ木石等ヲ以テ其地ニ表識スル者之ヲ墳墓ト称ス
第二条 墳墓陳列一区画ヲ為シ政府ノ許可ヲ受け又ハ帳簿ニ記載スル者之ヲ墓地又ハ埋葬地ト称ス
ここまで見てくると新政府の魂胆がうかがえる。墓地は無税にするけれども墓地とは死人を埋め、表識をしているもので、一つのまとまった区画に並んでいて、登記をして政府の許可を得たもののみ認める、ということである。両墓制の村はもとより単墓制であっても自らの耕地などにめいめい勝手に墓地を設けられてはそこからは徴税できないこととなる。最初に出された耕地畦ぎわへの埋葬禁止も端的な例だが、墓地は不毛の地、荒廃の地、薄税地に造れという姿勢は明らかに徴税率を挙げようということにほかならないのではないだろうか。ひとつひとつの墓地の無税だけでは小さな金額だが、全国となると膨大な金額となるだろう。ただしこのことはわたしの考えであって、森謙二氏が著書の中で語っていることではない、念のため。つづく
【今日のじょん】猿の逆襲
隣家の栗の木を伐ってざまみろと思っていたら、畑に入ってカボチャを荒らされた。残ったカボチャを採ってしまってざまみろと思っていたら今度はトマトとキュウリをやられてしまった。上田のおばちゃんは、「猿はトマトやキュウリはどえらい好きやないで」と言っているそうだ。となるとこれは腹いせにやられたのかも知れない。クソッタレ
屋根の上でゆっくり食ったみたい。防鳥ネットも今や効果無し。じょんは後から嗅ぐだけ、「この辺来とったで」。