晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の両墓制(8) 志古田-8 8/4 

2014-08-04 | 歴史・民俗

2014.8.4(月)曇り

 梅原論文によると、現在の墓地に移転する前は個人持ちの墓があちこちにあって、それらは埋めたところに石塔を立てたという風に聞き取りされている。つまり以前は単墓制であったと言うことである。
 以前は自分の土地に埋葬してその上に石塔を置いたので、死者が出る度に自由に墓地を拡げることが出来た。しかし共同墓地になると一定の区画に石塔を並べるのでその下あるいはその近隣に遺骸を埋めていくのは難しい。ということで、別の区画に埋葬専用の地を設けたということだろう。「両墓にしたのは埋める場所がないからだ」という古老の言はそのことを語っている。
 共同墓地の埋墓では、2,3年に一度草刈りをする程度、無くなった順に埋めていくこと、四十九日まで詣りそこで墓をヒク、かつては土を一握り詣墓(ヒキバカ)に持っていった。と梅原論文にあり、磯貝論文にはその他に四十九日まではトウバ(この場合竹のこと)を7本骸の周りに立てた、とある。
P1030273
 

上林の墓で宝篋印塔があるのは珍しい。

 これらの習俗は両墓制の独特のもので、それ以前が単墓制であったとは考えにくい。梅原氏の聞き取りに錯誤があったのではないかとも思って見るのだが、明治2,30年以前のことを確認するのは難しい事と思う。
 次回調査では次のことを確認したい。
 埋墓は丸山のどこか、
 宝篋印塔は元々どこにあったのか、
 丸山に移る前には全ての家が単墓制であったのか、
 移る前に両墓制の家があったら、埋墓はどこか、
 大乗院にまつわる伝説、木ノ下とはどこか、
 などである。 この項一旦終了。

【作業日誌 8/4】草刈り(玄関側登り口周辺、ドッグランど、芝生広場、じょんのび坂周辺)

【今日のじょん】今朝ジローが亡くなった。まりい、ハナ、チコなどじょんの最初の友達なんだけどみんな居なくなってしまった。みんなそれなりに仲良く遊んでくれたもんなあ。ジローは16歳と言うから大往生なんだけど、じょんの兄妹も昨年亡くなったんだからまったく寂しい事だねえ。P1030447

 ジローと最後に遊んだ日、7月15日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする