2014.8.21(木)晴 穴虫考(96)は2014.7.26
香芝市の穴虫を調べていくうちに奇妙なことに気付いてきた。穴虫地名は古代地名ではなさそうだということだ。
古代の大和と河内を結ぶ重要な街道であり、古代葬送の道あるいは火葬墓域として万葉集などに現れるべき地名なのに一切出てこない。大坂、二上などが古代地名として存在するのに穴虫は一向に出てこない。威奈大村骨蔵器の墓誌銘にも大倭国葛木下郡山君里狛井山崗(香芝市穴虫)とあり、穴虫地名は無かったようである。
他の幾つかの各地の穴虫はいわゆる小字で地名辞典に現れるものは無い。唯一香芝市の穴虫は大字で地名辞典に登場するのだが、やはり近世の初出となる。
奈良の古代地名となると池田末則氏(2011年逝去)が有名である。多くの著書とともに、地名辞典等も監修しておられる。地方の図書館などには置いてないので、娘に依頼して府立資料館等で調べてもらう。借りることが可能な本も取り寄せて覗いてみるが、やはり穴虫は見当たらない。
穴虫は中世以降に発生した地名と考えるのが妥当なようだ。
となると、今日までうっすらと考えていた穴虫地名の構想が崩壊してくる。
穴虫地名の共通点と思われ、地名由来の元ともなっていると考えていた次の次項が単なる偶然ということになる。
(1)古代金属の製錬、精錬に関係する。
(2)優秀な技術を持った渡来人の居住地。
(3)官衙、国分寺等に隣接。
これらの事項が穴虫と無関係とするなら、穴虫研究は振り出しに戻ってしまうこととなる。そして引地地名と同様に混迷に陥ってしまう羽目になりそうだ。
しかし穴虫地名が香芝以外の穴虫のように小さな小字の地名であったとしたら、それは古代から存在して、池田氏の目に留まらなかったと考えることも出来る。そのことを確認するのは「大和国条理復元図」の小字の中に穴虫を見つける事か古代の文献に穴虫の地名を見つける事である。
とりあえずは従前通り各地の穴虫を調査していこう、できる限り既成概念にとらわれずに。
【今日のじょん】ロストシンドロームつづく。朝はいつまでも二階を見ているし、昼間も心なしか元気が無い、気のせいかな。