2014.8.13(水)曇り
そのお墓での埋葬を二度見たことがある。昭和44年の父の葬儀と50年代前半の親戚の葬儀だった。葬送儀礼というのは一般的なものでそう変わりがない。埋葬場所は家ごとに分けられた石塔の並んでいる段の下の平地で、その家の範囲は決まっているようだ。ただし、ごく狭い範囲の埋葬地なので墓堀りの際には、遺骨や六文銭の古銭などが出土したということだ。墓堀りは私はやったことがないのだけど、兄は何度か経験している。
棺は座棺でいわゆる棺桶であった。埋葬が済むと土を盛って土饅頭とし、自然石を乗せ、位牌、卒塔婆、花立てなどがあり、枕飯を盛った膳が供えられていたように思う。イガキは無かったようだが、灯りをともす灯籠はあったかも知れない。埋葬地にいつまでどのように詣るのかはまるで記憶が無いので、解らない。しかし何時の日か石塔が出来、埋葬地の土饅頭や飾り物は跡形もなく消えて元の平地に戻り、彼岸や盆の墓参りは石塔に詣ることとなる。
お盆前の日曜日には各家揃って掃除をする。墓そろえという。お盆には毎日墓参りをし、灯籠に灯をともしていたが、最近では防火のためかやっていない。参るのは石塔の方だが、新仏の土饅頭が残っている時はそちらにも参っていたようだ。
石塔が出来た時に埋葬地から土や石を持っていくことは聞いたことがない、ましてや遺骨を改葬するということは無い。墓参りをする時は、遺骨のあったところを足下にして、石塔に手を合わせている状態である。
最も一般的であろうこの状態は果たして単墓制なのか、両墓制なのか、概念的にいえばどちらでもない状態である。
新谷氏の分類では、類型Ⅲとなり単墓制となる。つまり五つの類型は以下の通りである。
類型Ⅰ 死体埋葬地点に一連の墓上装置を施すだけで、石塔は建てない。
類型Ⅱ 死体埋葬地点の真上に石塔を建てる。
類型Ⅲ 死体埋葬地点のそばに少しずらして石塔を建てる。
類型Ⅳ 死体埋葬地点からまったく離れて石塔を建て、墓域が死体埋葬の区画と石塔建立の区画との両区画に二分されている。
類型Ⅴ 死体埋葬地点とはまったく離れて石塔を建て、死体埋葬の墓地と石塔建立の墓地とが完全に隔絶してて別々になっている。
Ⅰは無墓制、ⅡⅢは単墓制、ⅣⅤが両墓制ということになる。
従ってわたしの生家の墓地は類型Ⅲの単墓制ということになるのだが、今までの記事の中で当初は単墓制とし、後に両墓隣接型の両墓制とも書いている。両墓隣接型とは類型Ⅳの範疇である。
類型ⅡⅢが単墓制、類型ⅣⅤが両墓制ということになるのだが、ⅢとⅣの違いは何なのか、一般的には理解しにくいことと思われる。つづく
【今日のじょん】
涼しい夏で朝の運動もいつも通りなんだが、ぽんぽこぽんは元気にこなすのだが、ラストんはこうやって固まってしまう。もっと遊びたいという意思表示なのか、ほんとに切れてるのか解らない。