晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

穴虫考(100) 混迷の穴虫-4 8/24

2014-08-26 | 地名・山名考

2014.8.24(日)曇り、雨

 穴虫考も100稿となり、本来なら結論を出していなければならないのだが、いまだに混迷などというタイトルで書いているのに情けない思いがする。穴虫という何とも奇妙で愛嬌のある地名が結構あちこちに存在するのだが、柳田國男も鏡味完二も後に続く民俗学者も地名学者も穴虫には言及していない。著書として穴虫について書かれたものは、「大和の原像」(小川光三著)ぐらいのものである。各地に小字として存在し、大和と河内を繋ぐ古代の重要な地点に存在する穴虫が、歴代の学者に注目されなかったのはなぜだろう。いや、気付いていたけれどその意味が、その語源が掴みきれなかったのだろうか。今アマチュアの研究者であるわたしが、穴虫にチャレンジしていることに大変緊張感を憶えている。
 さて藁葬の詩だが前述の後は次のように続く。

 お寺の釣鐘のように出来上がった棺藁
 長老の編んだ化粧藁で包んで納棺は終わる
 四季折り折りに田んぼ道を葬送は行く
 家の跡取りが焚口から火打石で火を付ける
 棺藁は濡れ筵三枚でおさえトタンをのせる
 そして一日一昼夜絶対いじったらあかん
 火葬の明けの日の夕方家族みんなで出かけて
 爺の生まれ変わった美しい姿を拾う
P1030321

 
作者の山田清吉氏は福井県足羽郡社村渕(現福井市)の生まれで、やはり真宗地帯である。

 遺体に藁を巻いて荒縄で縛り、最後は釣鐘のようになるという。その釣鐘上の棺藁はどうやら立てて燃されると想像される。火葬場の火の壺と呼ばれたものは地面に掘られた穴だと思われる。壺というからには竪穴を想像する。そして火を点けると濡れ筵を三枚でおさえ、トタンをかけるとある。筵を濡らすのは蒸すわけでなく、筵が燃えないようにするのではないだろうか。それにトタンをかけるのだから、それこそ穴に蓋をして蒸し焼きにするという状況ではないか。ましてや人体は遺体と言えども殆どが水分の状態である。これは焼くというより蒸すといったほうが適当だと思うのである。
 穴で蒸す→穴蒸し→穴虫という構図はさほど無理のあるものではなさそうだ。つづく

【今日のじょん】そろそろ庭木の剪定の時期なんだが、この天気じゃ下の草刈りだけで先に進まない。じょんの向こうに見える白樺が実は悩みの種なのだ。1本2,000円で3本買った最後の生き残りなんだが、遂にテッポウムシにやられ、何となく葉っぱが少なく枯れてきた感じなのだ。挿し芽で増やそうと思ったのだが、みすみす虫にやられるのは忍びないので、白樺は諦めようかと思っている。P1030636
 

コメント
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