2014.8.14(木)曇り、雨
類型Ⅲは、死体埋葬地点と石塔がすぐ側にあり、石塔が家を単位に並んでいると、その前にその家の埋葬地があるのが一般的である。墓域の配列は埋葬地、石塔、埋葬地、石塔といった風に並列上に並ぶケースが多い。この類型は石塔の位置が死体埋葬地点から少しずれただけという観点から単墓制に入っている。
類型Ⅳは墓域そのものが、石塔建立区域と死体埋葬区域が二分されており、石塔は家毎あるいは株毎に並んでいる。埋葬区域は家毎に区分されているケースもあるようだが、一般的には場所は限定されておらず、埋葬がある毎に空いたところから埋めていくのが普通である。これは両墓隣接型とも言われ、両墓制の範疇になる。
前者はわたしの生家の墓であり、後者は志古田の墓である。
上川合スゲの墓地(左)は石塔のすぐ前に埋葬される。志古田の墓地(右)は石塔の位置から離れた位置に埋葬される。埋葬地に参るのは49日であったり、石塔建立までであり、その後は埋葬地には参らずもっぱら石塔に参る。やがて埋葬地は元の平地に戻る。
この二つの類型を見る時、文化としてどれだけの差異があるのだろうかと思う。墓制としては単墓制と両墓制に分けられているのだが、埋葬死体の扱い、墓参の形態など何も変わらないのである。違うのは埋葬地の位置が違うだけなのである。
位置が違うことによって変わることといえば、単墓制の埋葬地はその家の個人的な責任となるが両墓制の場合は埋葬地については村落共同体的な責任となることである。また土地の使用効率としては、両墓制が単墓制に比べ有利であることに気付いた。
これらは両墓制の概念に対するわたしの個人的なアプローチなのであるが、その概念を確定された新谷氏と同様の視点ではなかったかと思っている。つづく
【今日のじょん】おねしょしーだったわたしはおねしょした翌日、その布団が干してあるのがとても辛かった。誰かに見られたらどうしようと思うと同時に悔恨の念がわいてくるのである。
じょんの名誉のために言っておこう。昨晩はステロイドを服用させたので、その作用としておねしょした訳である。