2014.8.19(月)曇り
新谷氏の文章に次のようなものがある。
「私が両墓制に関する論文を書いた時に、非常に強く思ったのは、両墓制がかわいそうだ、という印象である。民俗学は、両墓制になんでもかんでも期待してしまったのではないか。死穢忌避、霊魂祭祀、死体遺棄、複葬など、大きな問題をみんな両墓制に託して何でも解決してくれるだろうと考えすぎたのではないか。」
「両墓制がかわいそうだ」というのは、もし両墓制という言葉が世間一般に広まっているとしたら、これは名言集に記載されるほどの言葉だと思う。
多くの先学が民俗学的に未解明な事柄の解決を両墓制に期待した。新谷氏もそうだったのではあるまいか。もちろん浅学で好奇心ばかり旺盛な私などすっかり期待してしまった。
両墓制ったってそれは過去のことで、現在は上林のどこにも残っていない。現在は全て火葬となり、火葬骨を石塔下に収めるようになっている。
その理由は風変わりな両墓制の形態が主なものだろう。うち捨てられた埋墓、死骸は無いのに石塔が整然と並ぶ詣墓を見れば誰だって不思議な気持ちに襲われ、その背景に様々なことが浮かんでくるのは当然である。
それが実は近世初頭前後に始まった、石塔と埋葬地の位置関係の違いだけのものなんですよと言われれば紛糾するのは当たり前である。それらの期待が吹っ飛ぶわけだから、、、。
しかし、膨大な資料を分析され、多くの現地調査をされ、論理的に理論を展開された新谷氏の「両墓制と他界観」は受け入れざるを得ない説得力がある。
死穢忌避、霊魂祭祀云々といった問題は霧散したわけではなく、民俗学に関わるものにとっては永遠の課題であろう。両墓制にも影響を及ぼしていることは間違いは無いが、本質的に根源をなすものでは無いという風に言われているものと理解している。
さて、志古田に始まった「上林の両墓制」だが、目的は身近の両墓制を調べることによって両墓制とはなんたるかを解明することであった。
両墓制が何か解ってしまった今、続ける意味があるのかという問題がある。
両墓制の概念が解ったとしても、なぜ上林に両墓制が根付いたか、どのようにして両墓制になったのかなどは解らないし、奥上林で見つけた石積みの墓やあちこちに残る杜、ダイジゴ、葬地地名など直接両墓制に関係なくても、墓制を調べることで解明できるものがあるかも知れない。
「両墓制と他界観」にも解らないことや納得のいかないことがあり、磯貝氏や梅原氏の上林の両墓制調査にも結論が無い。やはり両墓制どころか土葬も知らない人が増えてくる今日、今調べておかないと完全に解らなくなるだろう。そんなことで、どこまで出来るか解らないがつづけることにしよう。
【今日のじょん】夜の11時頃、ベランダのセンサライトが点いた。そっと窓から覗くといるいる、なんだこれは、、、。大きさはじょんくらい、でも痩せていて細い、尻尾は長いがこれも細い。バラスの庭で何か掘って探している。スタイルからいうとキツネしか考えられないのだが、尻尾の細いのが気になる。今まで見たのは立派な尻尾していたから、、。
数日前から芝生広場の糞が気になっている。虫なども含まれているが、主にトウモロコシが含まれている。キツネは肉食だろうと思っていたのだが、調べると雑食性で、野菜類も食べるということだ。