2014.8.26(火)曇り、雨
穴虫パターンを確定するためには、谷の末端、大坂山口神社の辺りが穴虫であり、穴虫地名が付いていれば万全である。香芝市の図書館で膨大な大和国条理復元図の中からこの地域の小字を拾うが、神社の辺りはミヤ山という小字名で、どこを探しても穴虫という小字は見つからなかった。
各地の穴虫は全て小字地名で、極小さな地域で地形的な特徴を表している。香芝市穴虫のみが大字で広大な地域を示しているのだ。どこかに小字穴虫があるはずと娘史子に府立資料館などに行って調べてもらう。しかし大字穴虫の中に小字穴虫は無かった。そしてそれどころか、古代地名の中に穴虫は見当たらないのだ。奈良県の古代地名については池田末則氏が多くの著書や辞書の編集などで活躍しておられる。それらも調べてもらったが、古代地名の中に見当たらない。自らも池田氏の著書など取り寄せたり、万葉集の中に穴虫地名を探すのだが見当たらない。
池田末則氏の奈良地名伝承論にも穴虫地名は見当たらない。
威奈大村骨蔵器の墓誌銘にも穴虫地名は無く、穴虫は古代地名ではないといわざるを得ない。これは事件である、山本光三氏の穴道説は破綻するし、池田末則氏や谷川健一氏も穴師地名に関連した地名だろうと言っておられるそうである。池田氏は穴師について「三方を丘陵に囲まれた地」と言っておられる(古代地名語源辞典)が、穴虫が古代地名でないとすると穴師→穴虫という説は成り立たない。わたしも穴師→穴虫という説には懐疑的であった。穴虫は確かに金属に関連した地が多いが、各地方に細かく分散しており、金属に関係したといわれる大穴磯部(おおあなしべ)がこれほど各地で活躍したとはとうてい考えられないのである。
著名な学者を始め、多くのアマチュアの研究者も穴虫を古代地名として見ているようだ。もちろんわたしもその一人だった。
その理由は香芝市の穴虫があらゆる意味で古代の重要な位置であったこと、地方の穴虫も国衙、国分寺の近隣であったり、渡来人の居住地であったり、金属、葬地に関連する場合が多いことなどだろう。
丹波国分寺跡のすぐ隣に亀岡市河原林町河原尻穴虫はある。そして穴虫には国分尼寺跡もあるのだ。
これだけ重要な位置にありながら、古代の文献に出てこないのは、古代には穴虫の地名が無かったと判断していいのだろう。
香芝市の穴虫を訪問してショックをおぼえたというのは、実はこのことに気付いたことである。
今までに蓄積してきた、穴虫解明のヒントの殆どが古代についてのものだからである。つづく
【作業日誌 8/26】
草刈り(ドッグランど、畑)
【今日のじょん】
この写真何が言いたいかだって、、、連日の雨で刈ったところの草が元の木阿弥になってるってことだ。今年は6月からず~っと草刈りばっかやっている。刈った後は達成感あるけど、決して生産的でないのがつらい。