2014.8.23(土)曇り
記事は原爆の悲惨さを伝えたいという主旨のもので、筆者の思いも記事の意図も充分に理解できるのだが、その絵に荼毘の方法のヒントを見つけたのは何か申し訳ないような気もする。
その絵には、「校庭で友達を焼いた日 1945年8月」とあり、「この絵の左が先生。右の三つ編みが私です」と切明千枝子さんの言葉が続く。被爆して亡くなった学校の友達を、生き残った切明さんや先生で荼毘にした事を絵に描いて残されたのだ。
緊急的な措置なので、これが本来の荼毘の姿なのかは解らないところがあるが、先生がスコップを持っており、浅く穴が掘られている。学校脇の畑で焼いたということで、土が軟らかくスコップでも充分に掘れたのだろう。絵からは燃料とした薪の少なさが目に付く。荼毘ついて読んだ情報では、遺体を焼くための薪はうずたかく積まれていた。絵の中の燃料は壊れた校舎の木を薪にしたとあり、「火力がないせいでね、骨格がきれいに残るの。15歳の普通の少女の感覚を失っていたと思う」と書かれている。火力が無いというのは元々燃料が少なかったのではないだろうか。
ともあれ荼毘における穴というのはこういうものではないかと思わせる絵なのだ。
窯墳や横穴での火葬は穴虫(穴蒸)の語源の候補には入れたが、どうも信頼感がわかない。しかしこの穴を掘った荼毘の様子を見るといかにも穴蒸という感じがするのだ。焼くことを蒸すと言えるかどうかが問題になるが、例えば「蒸し焼き」という言葉は水を使うものではなく、蓋を閉じて焼くことであるらしい。そしてこの蒸し焼き状態を先ほどの藁葬の中に見いだしたのである。つづく
【作業日誌 8/23】
草刈り(府道側のり面、畑)
【今日のじょん】
昨日の記事でじょんがどうしていたかが抜けていた。田んぼで出たり入ったりしている時には気がつかなかったようで、ピチャピチャという音には何だろうという感じで覗いていた。最後にイタチが逃げ出した時にやっと気付いて、リードつけたまま追いかけていったので、結構やばかった。