2014.8.27(水)曇り
国分寺、国衙、古代金属採鉱、渡来人、古墳造営、古代葬法、古代街道などといった穴虫に関する情報が全て無に帰するわけである。穴虫解明の夢もしぼんで、混沌というタイトルで原稿を書いた。地名の研究なんて結局出口の見えないトンネルのようなものかと思ったが、結論が出なくても、せめて各論並記の形で残そうと取り組んだのが、火葬墓の研究である。
香芝市穴虫訪問のきっかけは火葬骨の入った威奈大村骨蔵器だったし、香芝市二上博物館での職員さんとのやりとりもヒントになった。
「穴虫とはどういう由来でついた地名なんでしょうねえ」
「穴虫は古くは穴蒸と書かれていました。穴の中で蒸してたのでしょう」
「一体何を蒸してたのですか」
「それは食べ物とか、、、、」
穴の中で食べ物を蒸していたからといって地名にはならないだろうが、食べ物でなく死骸だったらどうなんだろうと考えた。
窯墳というのは土で固めた建物の中で火葬する古墳の一種、横穴というのは穴の中に骨を保管したり、直接埋葬したりというもので、穴の中で火葬している例もある。また鎌倉市周辺にあるやぐらというのも横穴で、主に火葬骨を収納している。穴で遺体を焼くというケースもあるのだが、各地に一般的に存在するものではない。
次に一般的な荼毘であるが、地面を浅く掘って薪を置き、その上に遺体を置いて点火するというのを読んだ記憶があった。新聞で広島原爆の記事の中に将にその通りの絵を見つけ、これも穴蒸しといえるかと思うが、蒸しと表現するのは無理がありそうだ。
そして最後に見つけたのが、福井市周辺で行われていた藁葬(こうそう)である。これは山田清吉氏の詩の中に見つけたので、文から想像するばかりで実際の葬法と違うかも知れない。詳しくは穴虫考(100)2014.8.24に書いたとおりなんだが、これが想像通りなら将に穴蒸しと言えるだろう。
一番最初に訪れた穴虫は亀岡市千代川町北ノ庄でそこには岩城神社と薬師堂があった。地形的には将に穴虫パターンであった。(2013.8)
とまあ火葬方法が穴蒸しであり、そういう火葬をしたところが穴虫と呼ばれたというわたしの仮説である。
実のところは随分突飛な話で、信憑性は少ないが、各論並記の一つにでも入れておこうと軽く考えていた。
ところがこれが瓢箪から駒で凄い事実が浮かび上がってきたのである。
つづく
【今日のじょん】キョートギンコー遊びやシュート遊びで大活躍のピンクの枕が破れて綿が出てきたり、よだれで異様な臭いになった。たまりかねておかーが百均で新しいのを買ってきた。
もの凄い勢いでキョートギンコーするのでシャッタースピードが間に合わない。