晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

上林の両墓制(9) 両墓制と他界観-1 8/5

2014-08-05 | 歴史・民俗

2014.8.5(火)曇り

 「両墓制と他界観」新谷尚紀著 吉川弘文館平成3年7月第一刷発行 京都府立図書館借本
 本来は雨読の中で紹介すべき読書なのだが、両墓制の研究、「上林の両墓制」を書き続けることについて大きな影響力を及ぼす重大な論文なのであえてこの項の中で紹介することにした。
 「両墓制」という記事を2009.8.11、13日、2011.2.20~24日まで6回にわたって書いている。実に稚拙な内容で、赤面のいたりと言うところなのだが、初めて両墓制の詣墓を見、なんの参考資料も無い者にとっては致し方のないところとご勘弁いただきたい。
 その後両墓制について、「墓と葬送の社会史」(森謙二 講談社)「墓地」(森浩一編 社会思想社)その他郷土史など読みあさるが、表面的なことは解っても本質的な意義というのが解らないまま数年が過ぎた。そんな中で見つけたのが、日本民俗学会の会報「日本民俗学」第14号、平成9年5月発行の冊子である。特集1としてシンポジウム「両墓制」という記事が載っており、喜び勇んで購入した訳である。これで「両墓制」のことは理解できると期待したからである。P1030525
 


いろんな本を読んでも両墓制の本質的な意味は理解できない。
 ところがその中身は、有馬シンポジウム(1967年8月、有馬で行われた両墓制研究のシンポジウム)におけるゴタゴタと、「両墓制は殆ど近世に終始した墓制で、埋葬地と石塔との関連で発生した墓制で、日本の墓制の根源に遡るものではない」という風な論調で実はこれで嫌気がさしてしまったのである。
 新谷氏はこのシンポジウムの中で、「民俗学は、両墓制に何でもかんでも期待してしまったのではないか。死穢忌避、霊魂祭祀、死体遺棄、複葬など大きな問題をみんな両墓制に託して何でも解決してくれるだろうと考えすぎたのではないか」と言っておられる。私自身も将にその状態であった、南島の複葬も、古代の遺棄葬も、イザナギ、イザナミに始まる死穢忌避なども両墓制に繋がるのではないかと考えた。それが単に石塔との位置関係で発生した近世のみの墓制の一形態と言われれば反発するのは当然である。反発してより深く研究すればいいものを、逆に放り投げてしまった。そのことが今日まで両墓制について語らなかった所以である。

【今日のじょん】ジローとこへいくと骨になって帰っていた。お花と前川さんの撮った
写真を供えて、合掌。捨てられていた犬が拾われて16年間大事に飼われてきた。そのうち6年間は私たちと知り合っていた。誰とでも仲良くしていたジローはきっと優しい性格だったんだろう。食いしん坊で、幸せに生きたと思うので、悲しむことなんかないぞ、大往生だぜ。P1030524

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