職場のストレスチェックで高ストレスの判定が出てしまった。
チェック項目に、例年よりも自分に正直に、内に秘めた感情を表現した結果がこうだった。
今までが、人間こうあるべきだということにとらわれ過ぎていたが、この歳になって肩の力が抜けて、素直に向き合うことが出来るようになったのかもしれない。
相当以前に購入し、積んどく状態になっていた「休む技術:西田昌規著」を読み返している。
今朝の起床時の血圧は1回目、最高血圧が138mmHg、最低血圧が91mmHgだった。
直ぐに2回目のスイッチを入れた。
表示が出るまでのほんの15秒程の間、ふと仕事上の懸案事項が頭をよぎり心を悩ましたところ 最高血圧149mmHg、最低血圧が108mmHgと跳ね上がってしまった。
ストレスが血圧に影響するとは聞いていたけど、こんなに上がるとは思ってなかった。
出来ることならこのストレスから解放されたい。
17日 飲み会(仕事の関係)
18日 OFF
19日 飲み会(水泳協会)
1月13日のSWIM練習以来、まったくトレーニングが出来ていない。
6日間も休養したのは何年ぶりだろうか。
焦って練習開始しても長引くだけだからこの祭、ゆっくり休んでおこう。
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18日
OFF~今日から咳が出るようになった。特に夜中に咳が続き、眠りの質が悪かった。
19日
OFF~四十九日法要&納骨、食事会は病み上がりのためノンアルコールでお勤めした。
夕方には37.0℃の微熱がでたので残っていたカロナール錠を飲んだ。酒飲まなくて良かった。
16日
朝、熱は37.7℃、今日まではと、上司に年次有給休暇を願い出る。
解熱剤もなくなったので、掛かりつけの病院で診察を受けたが、ここでもインフル検査は陰性だった。20%の確率で出ない場合もあるとのことで、一応インフルの薬を投与される。
17日
熱も下がったので頑張って出勤した。
同僚4名がインフルに罹患し今日も出勤していないことを知る。(今日まで休めばよかった!)
鼻づまりがあってティッシュは欠かせず、時々、咳が出るので水分補給で喉を潤した。
ため息をつきながらの事務は、17時15分のチャイムが待ち遠しかった。
夕方からは左の鼻から少量の出血も見られ「何だこれは!」と思ったが、
就寝前には「明日からトレーニング出来るかもと思えるようになったのは、快復の兆しとみた。
血圧がとうとう177/112mmHgを表示した。
ストレスが影響しているのだろうと思うけど、さすがに170を超えると自分でも心配になった。
9月25日に初診、その後10月6日に再度受診し、降圧薬テラム配合錠AP「DSEP」の処方を受けた。
併せて、逆流性食道炎の症状もあるのでネキシウムカプセル20㎎をもらった。
パレット食道の状態から癌が発生することがあるよ、と脅された。
胃食道逆流を悪化させる食物は、高脂肪食をはじめチョコレート、アルコール、コーヒー、炭酸飲料、柑橘系ジュース、香辛料、玉ねぎ等。
※食べ過ぎに注意する。
※前屈位を避ける。
※食べてすぐ横にならない。
用心せねば!
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3日
BIKE:ローラー台~30分 タバタトレーニング MAX:157bpm MAX:52.7km/h MAX:123rpm 11.5km
疲れてるのか心拍数が上げれなかった。
RUN:30分スロージョギング
4日
OFF~二七日法要
5日
BIKE:ローラー台~40分
RUN:10分
6日
SWIM:60分 1,500mTT≒27分00秒 バタフライ:25m×10 背面キック:50m×2
BIKE:ローラー台~40分 17km MAX:140bpm 95rpm 27.6km/h Av:122bpm 86rpm 24.4km/h
RUN:30分スロージョギング
7日
SWIM:60分 500m≒8分50秒 バタフライ25m×20 背面キック50m×4 500mDOWN
主治医の説明のあったとおり、日一日、病状は悪化していた。
ここ数日、仕事をしながらも嫌な予感は終始消えなかった。
21日、仕事を終え足早に病院へ走る。
もはや下顎呼吸に似た呼吸をしている。
「おい」と少し大きな声を掛けると、元の呼吸に戻る。
しかし再び下顎呼吸へ。
何度か繰り返した後、看護師を呼びに行く。
「ちょっと様子が変なので…。」
いったん帰宅した父と息子たち、嫁、妹を呼び寄せる。
ベッドサイドモニターが傍に置かれ、心拍数、SPO2、呼吸数を表示する。
そして吸引が施された。
その後は、安定した呼吸が続くが、もう呼び掛けに目を開けることはなくなった。
念のため、今夜は父と自分が泊まることにした。
母の寝息や横顔を見つめながら、病室に置いてもらったソファーに横になる。
うとうとしたかと思えば、はっとして、母が息をしているかを確かめた。
モニターに表示された心拍数、SPO2、呼吸数は次第に減少し黄色から赤色の表示に変わっていった。
看護師から「朝までもたないかもしれません」と。
3時過ぎ、吸引の後に容態が急変し、モニターの数値が小さくなった。
だが、自分の大きな呼び掛けに再び息を吹き返してくれた。
残された体力を振り絞って精一杯頑張っている。
呼吸は徐々に弱くなっていく。
4時35分、看護師が立ち合い、父が見つめる中、最後の小さな小さな呼吸が終わった。
母から明らかに生気が消え、死者の顔に変わった。
4時38分、医師の死亡判断。
奇しくも当直医は、長年、パーキンソン病の治療でお世話になっていた担当医だった。
父が母の額を撫でながら「きつかったな」と声を掛けた。
長年、病と闘い頑張った母に「眠かとやろ、もう、ゆっくり寝ろや」と言った。
合掌
臨終の日を記録にとどめることが、母の供養になるかと思った。だから…。
写真は通夜・葬儀・初七日が終わり、早朝に天草エアラインで帰る子供たち。
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19日
SWIM:50分 1,500mスローUP バタフライ25m×15
20日
SWIM:60分 1,000mビルドアップ バタフライ25m×15
尿が殆ど出ない。 目を閉じてるときが多くなった。 尿が出なくなると数日だと…。
上咽頭の癌から首筋のリンパ節へ転移、そのリンパ節は肥大してきた。
胸水も腹水も増してきている。
問いかけに頷いたり、ホワイトボードに文字を書こうとしたりとコミュニケーションは取れているが、以前より身体を動かすことも少なくなり、目を閉じることが多くなってきた。
病の進行は止まらない。
こんな母の様子を見るのは、大きなストレス。ネガティブになってしまう。
スポーツで汗を流し、少しでも気分を変えなければ…。
その後の母の病状は、
「胃ろう」によって体重が増加し、体力は幾分回復したものの首筋の腫れは大きさを増している。
言葉を、声を発することも出来なくなってきた。
CT撮影により鼻の後ろに腫瘍があることも判明、首筋のリンパ節の腫れの原因がつながった。
パーキンソン病の症状に加えて、腫瘍まで発症するとはなんとも…。
母のその後…
8月に入ってから、食べ物を口から摂れなくなり体重も30kgまでに減っていた。
自分たちが思うより病の進行は速く、待ってくれない。
「胃ろう」手術の予定日である8月16日まで待つのは厳しいと、主治医の勧めで8日から経鼻栄養を施された。
8月15日に転院、予定どおり16日に「胃ろう」を造った。内視鏡カメラでは食道、胃、十二指腸ともに病変はなかったとのこと。
経過も良好の様で、朝昼晩、300kcalを摂取する。
明らかに表情も良く丸みを帯びてきたところ。
しかし、気掛かりなのは左首付近の膨らみ。
リンパ腫か、耳下腺炎か。両手に少しむくみもある。
油断出来ないことばかり。
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20日
OFF
21日
SWIM:50分 1,500m≒28分45秒~ビルドアップ バタフライ:25m×20本
BIKE:ローラー台~40分回転重視ビルドアップ Av:120bpm Max:131bpm
今の母親に「胃ろう」や「経鼻栄養」といった人工栄養を施すべきか。
ネットや医学冊子で情報を読み漁るけれども、明確な答えは出ない。
迷い、悩み、親父や姉妹、医学に詳しい次男に相談して、一応決断はしたのだけれど、
これで果たして良かったのかと、思い悩む日々が続いている。
そうしている間に症状は進行し、待ってはくれない。
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5日
SWIM:1,500mUP≒29分15秒 フィン潜水25m×30本
6日
BIKE:ローラー台~60分 Av:115bpm Max:128bpm 体重:66.9kg
7日
BIKE:ローラー台~30分 tabataトレーニング
10分UP~(20秒+10秒)×8本~10分DOWN Max:162bpm Av:119bpm
Max:47km/h Av: 22.5km/h
8日
BIKE:ローラー台~40分 Av:108bpm Max:119bpm
RUN:20分スロージョグ 2km
入院から4ヶ月近くになる母。
病院から出された食事をすべて食べれるようになったかと思えば、それは数日限りで、誤嚥性肺炎とみられる熱発や、胃から?の出血で絶食になったりと、一進一退の状況が続いている。全く油断できない。
誤嚥性肺炎とは、喉の機能が低下することによって、飲食物や唾液などが菌とともに肺に入ることで起きる肺炎。
少しでも誤嚥性肺炎の再発を防ぐために重要なのが「喉のリハビリ」とのこと。
•ゆっくりと舌を左右に振ったり、舌の出し入れをする
•上あごや舌の付け根に、冷たい水や氷をつけて刺激する
•顎二腹筋(あご下の筋肉)をマッサージする
•喉(のどぼとけ)を上下に大きく上げ下げする運動を繰り返す
•喉(のどぼとけ)を上げた状態で10秒間維持することを繰り返す
頑張ってほしい!
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17日
BIKE:ローラー台~35分、集中しないライド。
RUN:30分スロージョグ
18日
OFF:食後、寝転んでいたら眠ってた。目覚めたら既に10時半を回っていた。
19日
BIKE:ローラー台~45分 (130~140bpm:10分)×2
RUN:30分スロージョグ 夜9時過ぎでも暑くて汗びっしょり。
毎年恒例の人間ドックを日赤健康管理センターで受診した。
気になっていた血圧は1回目 141:90 2回目 147:98…薬を飲んだが良いと言われる。
体脂肪率:20.7%、体重:68.9kg…ランナーとしては太り過ぎ、RUNのタイムに影響してるはず。
上部消化管検査では、いつもの「逆流性食道炎」「びらん性胃炎」「食道裂孔ヘルニア」「萎縮性胃炎」、今回これに「パレット上皮」が加わった。胃がんの下地は十分あると先生に脅された。
腹部超音波では、胆のう結石が14mmから19mmにサイズアップしていた。「何ともないですか」と念押しで聞かれる!?
体力診断は「40歳代前半」…昨年は30代前半、全身持久力ではもっと頑張れたのに残念だった。
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12日
RUN:30分~人間ドックのため江津湖周辺をリハビリ程度にJOG。
13日
BIKE:ローラー台~40分リハビリライド。
3月の中旬頃から、急に起き上がりや立ち上がりが出来なくなり食事も徐々に細くなっていた。
週2回、お世話になっていたデイサービスにも行けなくなり、以前はヒリヒリするような背中から下腿にかけての症状が神経痛のような激痛に変わってきた。このままでは体力が無くなるばかり。
毎日、母に付き添い献身的に介護をしてくれる親父にも限界がある。正に老々介護状態。
ついに、今日、入院となりました。
本人にとっても専門スタッフによりお世話を頂けるのは喜ばしいことであり、家族としても安心です。今の状況から症状快復に向かい、自力歩行や食事が摂れるようになってほしいものです。
家に帰ると、親父が居間に寝ころび「とぜんかなな~」とぼやいていました。
(とぜん≒徒然≒寂しい/退屈)
パーキンソン病を患い10年以上になる母。
季節の変わり目や、気象の急変に影響されやすいとは感じていたが、
ここ一週間ほど、母の体調が思わしくない。
食事の量が減り、部屋の中での移動は勿論、自分で立ち上がることも出来なくなった。
StageⅢから
StageⅣ「起立や歩行など日常生活動作の低下が著しく、労働能力は失われる」へ移行しつつある。
介護を頑張ってくれている親父のためにも「車椅子」を使ってみようかと思う。
バリアフリー化も、早くするべきだったか。
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19日
BIKE:ローラー台~50分、軽いギヤで踏む。
RUN:20分、スピード上げたくなるような、調子よく走れました。
20日
OFF
21日
OFF~雨降り&積極的休養日