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浅草を訪ねる。お決まり通り雷門を通り、仲見世を行くが、平日とは思えぬ混雑。中国を中心とした外国人観光客と修学旅行生、さらにちょうどお帰り時刻が重なった浅草寺幼稚園の子供と父兄など仲見世が朝の渋谷駅のような混雑、しかも方向が一定しないのだから始末に悪い。止むを得ず、仲見世の裏通り経由で本堂をお参りする。
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あまり慌ただしいのでいつも行かない方に向かう。本堂の左側には影向堂(ようごうどう)がある。ここは観音様に協力する仏様をおまつりするお堂。まず、元禄6年に作られた阿弥陀如来、隣は宝暦11年に作られた宝篋印塔(ほうきょういんとう)。さらに行くと川が流れていて、橋が架かっており、その先には六角堂も。これは室町時代建立とのこと。
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さらに観音裏に向かう途中に銭塚地蔵堂。これは江戸時代享保年間に山口氏の妻が庭先で寛永通宝が沢山入った壺を掘り当てたが、これに頼ると家が滅ぶと考え、埋め戻したところ、その心掛けもあり、一家は繁盛した。そのため壺の上に地蔵を祀ったもので、商売繁盛を祈る人が多い。
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その隣はカンカン地蔵がある。管理している人がいうに、この二つの地蔵は離れたところにあったが、移されて隣同士となっただけらしい。因みにカンカン地蔵はもとは大日如来像だったが、天災にあい、今は変わり果てた姿で全くただの崩れた石のよう。しかし、置いてある黒い石で叩き祈ると願いが叶うとの言い伝えがある。ただ、叩かず削る輩もいてさらに小さくなっている。(寺男氏曰く、お金は銭塚地蔵、それ以外はかんかん地蔵と担当が分かれているとのこと。)
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その先にはバス駐車場と市川団十郎の銅像、さらに雷おこしのやっているゴロゴロ会館などがある。ゴロゴロ会館は浅草では数少ない団体での食事できるとバス駐車場の施設を持つ。今はホールを吉本に貸して浅草吉本と称して演劇をやっているが、元々は女剣劇の浅香光代の舞台である。左に曲がると、向かいには有名な大学イモを売る千葉屋さんがある。その前のバス停の名前を見るとなんと『奥浅草』、元浅草や西浅草、浅草橋は知っていたが、こんな地名もあることを発見。