hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東武亀戸線

2014-05-14 06:35:11 | 日記

鉄道シリーズ その62。今日は東武亀戸線を訪ねて亀戸駅に。JR亀戸駅北口からアトレ寄りに歩くと東武線亀戸駅に到着。島式2ホームだけの駅には8000系が2両連結で停まっている。(今は大師線と共用している。)

日中は10分間隔でワンマン運転をしているローカルな支線。亀戸~曳舟の路線距離は3.4km、間に亀戸水神、東あずま、小村井(おむらい)の中間駅がある。なぜ、こんな中途半端な支線があるのか不思議になる位だが、その歴史は古い。

元々、東武鉄道は東京と北関東を結ぶ鉄道として計画され、当初、業平橋としていた起点を1897年に越中島に延長する計画を役所に提出、しかし、すぐに免許が降りず、1899年にまず、北千住~久喜間開業した。その後、当初の計画を曳舟~吾妻橋と亀戸~業平橋の支線に変更したが、北千住~吾妻橋のみ許可され、1902年に開業。その後、1904年に現・亀戸線の亀戸~曳舟が開業、開業と同時に総武鉄道(現、JR総武線)亀戸~両国橋への直通運転を開始し、吾妻橋~曳舟は廃止、亀戸線は本線扱いになり、両国橋が東武鉄道の始発ターミナル駅となった。

しかし、総武鉄道が国有化されるとターミナルを吾妻橋駅に戻すことになり、1910年3月に吾妻橋駅を浅草駅に改称し、ターミナル駅とした。(その後隅田川を渡り、今の浅草駅までたどりつくのに京成と激しい戦いを演じるのだが、今回は長くなるので省略する。)

ただ、その後も貨物は常磐線~北千住~亀戸~両国橋の運行は継続していたが、1926年に国鉄が新小岩~金町の貨物専用短絡線(新金線)を開通させたため、貨物も通らなくなり、今のローカル支線となった。つまり、わずか6年ではあったが、東武鉄道の本線として機能した時期、貨物線として脚光を浴びた時期があったのである。


さて、亀戸線に乗ると、亀戸駅を出てすぐに左にカーブし、瞬く間に亀戸水神駅に到着。亀戸水神駅にはご丁寧に『亀戸天神の最寄駅は亀戸駅です。』『亀戸天神と亀戸水神は別の神社です』という表示がある。よく間違える人がいるのだろう。

次の東あずま駅、小村井駅もすぐに到着、というのはここまでの3駅はいずれも0.6~0.7kmしか駅間がないからである。

小村井駅を出ると曳舟駅までは少し距離があるが、これには種明かしが、つまりかつては3駅の途中駅(天神、十間橋通、虎橋通)があったが今は廃止されたからである。


曳舟駅は5番線に到着、向かいには東京スカイツリー線の駅もあるが、とにかくホームの長さが短い。ホームに立つと前にはスカイツリー。

蛇足ながら次の押上駅は東京スカイツリーの最寄り駅であり、すっかり観光地化されている。降りるとソラマチに直結しており、そのままスカイツリーの下まで行くことができる。

いまは2両のワンマンカーがわずか3.4kmを往復するローカル支線となりさがった亀戸線にも栄光の時代があったことは今では全く想像さえできない。