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日本橋町巡りシリーズ その4。今回は日本橋久松町。都営地下鉄浅草線人形町と東日本橋の間、地名で言うと南と東に浜町、西に富沢町、北に東日本橋という位置関係にある。特に西側には縦に細長い区画があり、今は久松公園などになっているが、元は浜町川の跡である。そのため、⚪️⚪️橋という地名が多く、久松警察署の隣にあるのも小川橋という。
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この小川橋の起源は1886年に久松署の小川侘吉郎巡査が日本初のピストル強盗犯、清水定吉を格闘の上に逮捕したが、小川巡査はその時の傷が元で殉職する。そのため、その功績忘れないようにと小川橋にされたらしい。
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まず、町の名前の起源だが、分からないというのが、真相。旧町名は村松町だが、この名は元の名主、村松源六からとったのだが、その一部が独立した久松町は旧町名の一部を取り、久しくあるようにと『久』を付けたのではと想像されているが、真実は分からない。
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また、元々この辺りは刀鍛冶、特に安物の刀を作り、売るものが多かったらしく、村松町のなまくら刀として有名で子供の節句に使う刀なども手掛けていた。
この町は先程の久松署に加え、久松小学校など公的な建物が多く、明治の初期には品川県の役所も置かれていた。
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また、久松町というと切っても切り離せないのは『明治座』である。今は隣の浜町にあるが、かつては久松町にあり、久松座と言った時代もある。芝居小屋と茶屋で賑やかだったらしい。ただ、明治座は5度も火災に会い、その度に立て直された。
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久松町は小さな町であまり目立つ建物はなく、久松警察署、久松小学校、日本橋休日診療所など公的な施設が多い。会社は商工リサーチ、哺乳瓶のピジョンがあるくらい。
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ただ、古い飲食店も少し残っている。今でこそ目立たない町で昔とはかなり雰囲気が変わっているが、町にあった写真で警察署・小学校以外は全て焼失したことが原因かもしれない。
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