hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

日本橋富沢町

2014-05-29 06:28:46 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その6。一回遅れたが、今回は日本橋富沢町を取り上げる。東は前回の久松町、北は大伝馬町、南は人形町、西は堀留町に囲まれている。

元々この辺りには古着屋が多く、古着屋の元締め『鳶沢』がいたため『鳶沢町』と呼ばれ、それがなまってか、改名してか、富沢町になったのが、その由来である。明治初期に古着市は岩本町に移ったものの、大正時代から繊維問屋が多く進出し、今はそれが小規模なビルになっている。寺社としては冨沢稲荷神社があるが、普段はひっそりとしている。



歩いてみると2本の通りに挟まれた細長い地形で西川産業をはじめ、寝具、タオル、和服など様々な繊維問屋が軒を連ね、特に大阪の船場の会社の東京支店が多くある。


また、耐熱ガラスメーカーのHARIOの本社は1932年に建築された有形文化財である。元々は旧川崎貯蓄銀行冨沢町支店でその後常陽銀行東京支店、同行堀留支店として使われていたが、銀行としては閉店、そのままにされていたが、2000年に現在の形となった。西欧古典式の建物は風格がある。

一角には数軒の小料理屋やもつ焼き屋などが並んでおり、風情があるところもホンの一角に残る。また、歴史物の自動車修理工場も残り、『日産チェリー特約店』の看板が泣かせる。


ただ、歴史がある建物もある反面、周辺の町と同じようにビジネスホテルやマンションが増えて来ており、画一化されつつあるのは残念である。