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『都会の小さな町散歩』その2。市谷砂土原町1丁目の先は道が狭く、右に曲がって行き、その先で牛込中央通りと合流する。
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この辺りからは道の一筋毎に名前が変わり、町名は『払方町』。払方町は砂土原町、船河原町とともに中級武士の屋敷があった場所。名前は納戸町とともに『払方御納戸同心』の拝領地だった名残である。明治以降は山手と称せられた高級住宅地であった。
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その先が『納戸町(なんどまち)』、由来は江戸時代に住んでいた払方町同様と思われる。納戸町も牛込中央通りの左右に広がっているが、次の道を左に曲がると『南町』となる。
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この辺りもかつては政治家や経済の重鎮たちの住宅があった場所で南町・中町・北町と並んでいる。その特徴は①奥行二十間幅十間の土地の真ん中の道が左右に通る旗竿地であること、②道はまっすぐ伸びているが途中に左右に曲がる道がないことである。ただ、今は大邸宅がマンションに変わってしまっているが。
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南町を突き当たりまで行くと『若宮町』、現在立て直し中だが、最高裁長官の公邸がある。その規模は驚くほど、ただその向かいの家も大きいが。
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若宮町の並びが『袋町』、江戸時代にこの辺りに居住していた中級武士の御徒組の門があり、袋小路となっていたためついた名前である。
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少し戻り『中町』を歩くと、右手には箏曲の名手で春の海でも有名な宮城道雄記念館があるが、残念ながら休館日であった。
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次に『北町』を歩くが、元は牛込北町と称していた。牛込中央通り近いところに愛日小学校がある。この小学校は明治3年創立の東京府仮小学6校の1つと由緒ある東京府小学第三校が前身と長い歴史を持つが、今は建て替えられて新しい。
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牛込中央通りから北町交差点に向かうと左側は『細工町』、ここでなぜか住居表示板を発見。
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大久保通りを渡ると『簞笥町』。いずれも江戸時代に居住していた武士の仕事に由来するもので、簞笥は衣類をしまうためではなく、武器を収納するものを指し、武器を扱う武士が住む町ということである。
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ここから飯田橋方面に歩くと都営大江戸線牛込神楽坂駅はほど近い。わずかな距離を歩くだけで13(市谷八幡町、市谷長延寺町、市谷砂土原町、市谷田町、払方町、納戸町、南町、若宮町、袋町、中町、北町、細工町、簞笥町)もの町と出会うことができた。