hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

街の案内板を巡る〜人形町編(1)

2019-11-08 05:00:03 | 日記
『街の案内板を巡る』その1。案内板とは区教育委員会などが建てた歴史的事実が起きた場所を示すものであるが、この場所の過去に思いを馳せることができる。 (浄瑠璃坂の案内板) 私が毎日歩く日本橋人形町は江戸時代からの歴史を持ち、少し歩くと案内板があるという場所で、これが散歩の楽しみの一つとも言えよう。第1回は甘酒横丁交差点からスタート。 ここには案内板『牡蛎銀座跡』がある。銀座は1612年現在の銀座2丁目あたりに置かれ、銀貨製造並びに検査を行っていたが、1800年6月に寛政の改革で廃止された。しかし、その年の12月により幕府の意向を受けたものとして地下鉄人形町駅入口あたりに新たな銀座が作られ、町名が蠣殻町のため、蠣殻銀座と呼ばれた。(明治維新時に廃止) 甘酒横丁から親子丼で有名な玉ひで方向にまっすぐ歩くと右手に『谷崎潤一郎生誕の地』の案内板がある。谷崎潤一郎は明治12年生まれだが、この地には祖父が経営する谷崎活版所があった。 明治25年には坂本高等小学校に入学したが、父の事業の失敗により、住む家を転々とすることになる。また、この生誕の場所にあるビルの2階には『たにざき』という和風レストランがある。 魚の味噌漬で有名な魚久の角の向かいあたりに黒い鯨の石像が出てくる。この鯨を意味するのは人形と鯨の切っても切れない関係にあるということ。ヒゲ鯨のヒゲが人形浄瑠璃を動かすに当たっては欠かせないとあり、人形に関わる人形師や雛人形を商う人が多く住んだため人形町と呼ばれ、昭和8年には正式な町名となった。 因みについ最近までは鯨の頭部分に水が出るところがあり、チョロチョロと潮吹きのように流れていたのだが、いつの間にか止まってしまった。(以下、次回)