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『都会の小さな町散歩』その5。今回は神田駅近くにある小さな町を歩いてみる。神田駅からガードに沿って歩くと神田平成通りにでる。そのまままっすぐ歩くと周辺は『東松下町』になる。
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江戸時代は職人・商人の居住地と武家屋敷が混在する地区であり、千葉周作の剣術道場・玄武館があった。町の名前は今は外神田となった松下町と区別するために東をつけたものである。
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そこから小さい街が南から北に並んでいる。すぐ隣にあるのが『神田富山町』、『かんだとみやまちょう』と読む。この辺りには日常品を売るもので、慶應年間の書物には醤油や醤油もろみを扱う店のことが書かれている。町は神田平成通りの両側に広がり、古くからの化学品問屋が並ぶ。
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隣は『神田紺屋町』、この町は二つに分かれていて真ん中に『北乗物町』が挟まれている。神田紺屋町・南部は名前の通り紺屋職人が多く住んでいたところで浴衣の流行がここにくれば分かると言われるほどであったらしい。
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また、紺屋町が南北に分かれているのは火災が相次ぎ、1719年に南部に集まっていた町の一部を幕府の命令で北部に移したことが原因となった。(居住地は火除地とした)
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『北乗物町』は小さな町でまた古い家屋がまだ残っているため、古いホーローの住居表示板も見ることができる。この乗物は①駕籠を作る職人がいた、②神田祭りの際に担ぐ神輿を作る職人がいたなど諸説ある。なお、戦前までは南乗物町もあったのである。(以下、次回)
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