夏旅2023⑦、2日目は新冠のホテルに泊まる。夕日が美しい宿というキャッチフレーズであったが、夕食の際に見える海に沈む夕陽は確かに美しかった。
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3日目は日高道に乗ろうと走る。日高厚賀ICの手前に牧場に馬が3頭遊んでいて思わず写メを撮る。
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日高道は苫小牧東ICまでの60kmが開通済、これも無料である。70km/h規制で1車線ではあるが、やはり快適。その先、道央自動車道に入り、天候を見ながら室蘭を目指す。学生時代に地球岬を訪れたことがあったが、40年ぶりに行くことにした。登別室蘭ICで降り、自動車専用道路を経て15分ほど、街中からわずかに走っただけだが、見事な海岸線と270度の展望が開ける。
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地球岬の由来はアイヌ語の『ポロ・チケプ(親である・断崖)』であり、これが訛ったもの。しかし、丸い水平線を見ていると地球の形を実感できることからなかなかのネーミングと思う。もちろんここでも灯台カードはゲット。
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室蘭は製鉄と石炭の街と言われる工業都市だが、天然の良港と地球岬や測量山、絵柄岬など複雑な地形が素晴らしい。
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白鳥大橋の袂にある道の駅『みたら室蘭』でランチ。園地と港の前にある眺望のよいくじら食堂で蕎麦と名物の焼き鳥を頂く。
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室蘭の焼き鳥は肉は豚肉、玉ねぎを挟み、豚丼のタレのような味付け、博多のバラによく似ていた。
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次に旧室蘭駅まで足を伸ばす。漆黒の重厚な駅舎と静態保存されているD51型機関車。旧駅舎は明治45年に建てられた北海道で最も古い木造建築物。中には観光案内所があり、ベンチは昔の客車のボックスシート。古い鉄製の駅名表示板は迫力があった。
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また、D51は昭和15年の苗穂工場製、昭和49年まで廃車となるまで、函館・長万部・岩見沢・名寄などに配置され、道内を270万キロ走り続けた猛者である。
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今は綺麗に塗装し直され、静かに余生を暮らしていた。(以下、次回)
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