hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

大正、昭和の建物を巡る〜神田編④

2023-08-02 05:00:00 | 日記
『大正、昭和の建築物をめぐる』その15、神田編③。神田駅周辺を歩いていると新しいビルの間に懐かしいフォルムのビルを見かけることがある。木造の建物は以前、神田須田町を中心に見て回ったが、今回は大きめのビル3棟をレポートする。

まずは国有形文化財に指定されている丸石ビルディング(千代田区鍛冶町1ー10ー4、1931年竣工)である。



神田駅近くにあり、設計は山下寿郎、建築は竹中工務店によるもので旧太洋商会ビルと呼ばれた。ビルの1階は太洋自動車(GM販売代理店)のショールーム、2階は姉妹会社の丸石商会(のちの丸石自転車)の事務所であった。

近世ロマネスク様式で作られた豪華なビルで竣工当初は南側に竜閑川(日本橋川から浜町川を経て隅田川に抜ける堀、1950年に埋立られた)が流れていて、入口に鎮座する獅子の口から雨水が川に注ぐ構造となっていたとのこと。今は獅子の口が北側に移されているため、あくまでオブジェとなっているが、獅子とはいえ優しげな顔をしている。

内部には中々入れないが、調べると細かい細工がなされたドーム型の天井となっているようであり、当時としてはかなり贅を尽くした建物であったようだ。

すぐ近くにある山梨中央銀行東京支店(千代田区鍛冶町1ー6ー10、1929年竣工)は旧第十銀行東京支店として作られた。旧第十銀行は国立銀行として9番目。



『九』は『苦』に通じるとして忌み、第十国立銀行として設立された。(しかし、調べてみると第九国立銀行は熊本藩士により作られ、1907年に肥後銀行に合併されたものが存在した)

最後が竹中ビルディング(千代田区鍛冶町1ー5ー5)、5階建のスクラッチタイル張り、以前このビルの前を通った時にはネットが掛けられていて建て替えでもと思っていたが、表面もクリーニングが行われ、綺麗になっていた。

1925年金沢市発祥の竹中産業のビル。東京に本社が置かれたのは1939年とのことだから、昭和10年代のビルのようである。HPによると、元は石炭由来の事業であったが、現在は石油を中心とするエネルギー分野、土木建設分野、その付帯分野などを主業とする老舗資材メーカーのようである。
須田町に代表される木造の建物群もいいが、戦前のビルディングを見て歩くのも今では考えられないような工法で作られており、ノスタルジックに楽しむのも良いものである。