『鉄道シリーズ』その220。日暮里舎人ライナースタンプ②、日暮里駅から4つ目は熊野前駅である。ここまでが荒川区、また、さくらトラム(都電荒川線)への乗換駅である。多くの人が下車するが、それでは『熊野前』の熊野とは何なのか。
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(都電スタンプ)
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熊野前という駅(停車場)ができたのは1913年に都電荒川線の前身である王子電気鉄道が開通した時なのだが、その時には既に熊野神社は廃止となった後だったがこの周辺には熊野前商店街などとして名を残していたため、熊野前と名付けられた。
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そこで熊野神社があった場所を訪ねて歩く。道路地図に乗っている案内板を探して尾久橋通りを歩くと『熊野神社跡』が出てくる。これによると熊野神社は明治11年に八幡神社に合祀されたが、小さな祠が残り、地元民は信仰を持ち続けたとある。
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尾久橋に向かって歩くと『東京初空襲の地』として1942年4月18日にこの付近(当時は尾久町8.9丁目)に爆弾3個と焼夷弾1個を落とし、10名が亡くなり、周囲が火事となったと荒川区史に記されている。
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尾久橋に向かう階段下には『熊野の渡し』という案内板があり、荒川区東尾久8丁目と足立区小台1丁目を結ぶ渡しがこの50m北に行ったところに昭和25年まであったと記されていた。
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階段を上がると隅田川にかかる尾久橋、車道の横には徒歩と自転車で渡れる歩道があるが、歩いてゆったりと流れる隅田川を眺めているのは私くらい、殆どが自転車で渡る。というのはすぐ先に荒川に架かる扇大橋が出てくるからだろう。
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前方を見ていると右側に『足立小台駅』が見えてくる。(以下、次回)