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『東京の坂、日本の坂』その172。目黒通りを左に向かう。左手には多摩大目黒高校が出てくる。
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ほぼその前にあるバス停は『元競馬場前』、この場所に1907年〜1933年目黒競馬場があったのである。一周1マイルの競馬場は一時馬券販売禁止などの措置により廃れたが、1914年に馬券販売が再開すると人気が戻り、1932年日本ダービー(東京優駿)が創設されると多数の人が訪れた。しかし、土地が狭い上に周囲の宅地化から1933年に新たに作られた府中競馬場に移され、廃止された。
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もう少し歩くと馬が上に乗った石碑が出てくる。これは目黒競馬場を忍ぶ碑であり、上に乗る『トウルヌル号』は第一回ワカタカ、第五回トクマサ、第六回ヒサトモなどのダービー馬の父にあたる馬である。
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再び金毘羅坂を降りると山手通りとの交差点に『大鳥神社』が現れる。目黒区最古の神社であり、造営されたのは806年。主祭神が日本武尊、相殿に国常立尊、弟橘媛命が祀られている。この2人が夫婦ということから良縁や恋愛のご利益があるとされている。お参りをした後、山手通りを中目黒駅方向に歩く。
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ラーメン二郎の少し先を左に曲がると道が右に曲がりながら坂になる。目黒3丁目と中目黒4丁目の境にある坂が『馬喰坂』、由来は悪路でこの地区の方言では風雨にさらされた穴が空いた状態を『ばくろ』といい、ここから来たもので馬とは関係はないようである。
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坂の頂上を左に曲がって少しいくと急な下り坂となるが、これが『十七が坂』。
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案内板によると『十七』は若者を指し、元気な若者が回り道をせずに急坂を利用したからとする説、板碑型庚申塔に十七人の名前が刻まれていたことに由来する説などがある。
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