『東京の坂、日本の坂』その119。今回は都営地下鉄新宿線曙橋駅から外苑東通り沿いにある坂道を巡ることにした。
曙橋駅は新宿三丁目駅と市ケ谷駅の中間にあり、地上に出ると道路が立体交差となり、下が靖国通り、上が外苑東通り、その橋が曙橋なりのである。この辺りは『片町』という小さな町である。
靖国通りを市ケ谷方向に少し歩くと中央大学の校舎横、左手に外苑東通りに通じる上り坂が出てくるがこれが合羽坂である。その由来は新撰江戸名所図会に『坂の南側に蓮池があり、しばしばカワウソが出るが、これを街人が河童と思ったため、坂の名前になり、河童が合羽に転じた』とある。標識は見つけられなかったが河童の石像を発見した。
外苑東通りまで登り、右の方に曲がる。この辺りは『仲之町』であり、上り坂となっているが、これが『新五段坂』と呼ぶ。その由来は現在は防衛省の敷地に取り込まれた旧尾張屋敷の中に五段長屋があり、その前の坂を五段坂と呼んだ。
しかし、五段坂は今はない。これに変わり防衛省の前の坂を『新五段坂』と称しているのである。
そのまま坂を上り、女子医大通りの先、左手に上る坂が『児玉坂』である。この奥に明治時代の陸軍大将児玉源太郎の屋敷があったためその名前が残されている。
『薬王寺町』に入る。かつて外苑東通り沿いに薬王寺があったためだが、次の左に上る坂が『薬王寺坂』。緩い坂である。
この辺りは寺院が多く、淨栄寺の山門『甘露門』は立派な造りで区の有形文化財となっている。
次の信号を反対に渡り、右に上る緩い坂が『銀杏坂』である。これは坂の北側にあった久貝因幡守の屋敷内に銀杏稲荷があったためにつけられた名前である。(以下、次回)