hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

天ぷら中山 人形町グルメ

2013-12-21 07:53:48 | グルメ

人形町の店の中で以前より知っていた店で中々行く機会がなかったのは『天ぷら中山』である。この店は2012年11月に『孤独のグルメみseason2第二話』で紹介された店で今の勤務先に駅から向かう途中にあるので場所は以前から知っていた。

店は昔ながらの二階建て民家のような造り、席はカウンターが8人、奥に小さな座敷がある。店の扉を開けるとすぐ前に天ぷらを揚げる鍋とつきっきりで天ぷらを揚げるご主人、その隣で皿を並べ、小鉢をつくり、天ぷらを丼つゆにくぐらせるおかみさん、さらに味噌汁をついだり、料理を運んだり、会計をしたりする若い男性(息子さんか?)の3人でしっかり業務分担して忙しい昼もこなしている。

天丼をあまりメニューも見ずに注文したが、早い時間は日替わり定食が人気。これは天ぷら定食に小鉢がつくが、今日はマグロの中落ちであった。
天丼は約5分で到着、蓋がズレるくらいのよい盛り。前にTVで見た通り真っ黒、でもひと口食べるとそれほどタレが沢山掛けられず、濃い味ではない。

天ぷらはエビ2本、アナゴ、キス、ナスとしっかり乗っており、ご飯も量は多め。これで1050円ならまあまあというところか。沢庵とシジミ汁とのバランスはよい。お客さんは次から次にやってくるが、常連さんばかりで、満員でも大人しく待っている。昭和が香る落ち着いた店で気持ちがいい。店を出たら、日替わり定食は売り切れていた。

また、隣の爆弾カキフライの『三友』も列が早くからできて、かなりの人気である。次はここも征服したい。

天ぷら中山
中央区日本橋人形町1ー10ー8
0336614538

カイダン考

2013-12-20 06:45:34 | 日記

カイダンは怖い。と言っても別に四谷怪談の話を季節外れのこの時期に話そうとしている訳ではない。この間の月曜日に通常通り出勤していた。いつも渋谷で乗り換え、半蔵門線の渋谷駅に向かっていた午前7時5分くらいのことである。

通う人はご存知かもしれないが、地上から半蔵門線の渋谷駅に向かう階段は1段がやや高い上に階段の幅も奥行きもやや狭く、ラッシュ時に追い越しをしようとしても難しい。ただ、その日はたまたま少しすいていて小生の前には年齢は60過ぎの銀髪の男性がポケットに手を入れて階段を特に急ぐでもなく降りていた。

しかし、その次の瞬間、足元を踏み外し、前向きに倒れ、ガタガタと階段落ちしていった。運がよいのか、悪いのか、誰も前におらず、1番下まで落ちてしまった。小生も思わず駆け寄り、『大丈夫ですか?』と聞いたが、眼鏡は割れて、鼻血は出ていた。ただ、意識はしっかりしており、すぐに立ち上がることができたので打撲はあったかもしれないが、命に関わるほどのことはなかったと思うが。ただし、手をポケットに入れてなければこれほど転げることもなかったであろう。

すぐ先に警備員がいたので声を掛けて、小生は電車に乗って会社に向かったが、少し前に見た光景が繰り返しおもいだされ、その後は下り階段が怖くなった。今は忘年会本番だが、あれで酒が入っていたらなどと考えると恐ろしい。特に雨や雪で滑りやすい時もあり、是非お互い気をつけていきたいところと思い書いて見た。
(因みに、写真は別の日に撮影)

流線型車両(戦前編)

2013-12-19 06:40:42 | 日記

鉄道シリーズその27。今は東京駅の新幹線ホームに行けば、色々な種類の流線型車両に出会うことができるが、鉄道の世界でその歴史は意外に古い。創成期はとにかく人の足や自転車より早く走ればよかった鉄道も自動車、飛行機とライバルが次々に現れてオリンピック憲章ではないが、『より早く』を目指した結果であるが、それだけでなく、我々鉄道ファンを魅了するのは『かっこよさ』であろう。
小生が、流線型車両を意識したのは間違いなく東海道新幹線0系である。始めて乗ったのは昭和40年3月だからもう50年近く前のことだが、東京駅で対面した感動はわずか6歳だったが今も思い出す。もちろん、ビュッフェにあった速度計にもおどろいたのだが。
今回は日本の鉄道のうち、戦前派の国鉄車両について書いて見ることとしたい。

蒸気機関車はC53の1両が流線型に改造されたのが、昭和9年のことである。100キロの出ない当時の蒸気機関車のスピードでは改造効果はあまりなく、逆に改造のためにフードをつけた重さのために遅くなると言われ計測さえされなかった。


ただ、好評であったため、C55の21両が流線型で製造された。そしてこれらの流れが南満州鉄道のあじあ号(パシナ型)に引き継がれていく。

しかし、戦時色が強くなり、この後はD51の煙突部分にマフラーが取り付けられた(いわゆるナメクジ型)くらいだが。

電気機関車はやはりEF55である。これは流線型で設計され、昭和11年に3両製造された。うち1両は今も高崎機関区で準鉄道記念物として残されている。製造当時は特急用として『つばめ』『富士』などを牽引した。

ただ、その独特なフォルムは賛否両論あり、一部では『どた靴』『靴のお化け』などと陰口を叩かれた。(いまはムーミンと呼ばれている。)また、左右対称で前後に運転台のある一般的な電気機関車と異なり、片方にしか運転台が無い非対称のため、転車台を必要としたことも嫌われた原因である。

電車はEF55と同じく昭和11年に製造された52系が有名である。これは42系をベースに京阪神の急電向けに4両の固定編成を組むことを前提に設計され、第1次車はスカート付きで葡萄色にベージュを組み合わせた比較的地味な塗装であった。

当時、阪急、阪神などと顧客獲得合戦を演じていた国鉄が切り札として出した新型車両で、日本社会に流線型ブームを引き起こすほどのインパクトがあった。
それぞれの分野で流線型がブームとなったのは昭和恐慌が収まり、太平洋戦争前の短く、比較的良い時代であった。当時もより早くなりたいという鉄道マンの気持ちを表したロマン溢れる車両のスタイルは今見ても新しく美しい。

福島県八重洲観光交流館

2013-12-18 06:43:45 | 日記

アンテナショップその5。福島県八重洲観光交流館は八重洲ブックセンターから呉服橋よりに歩いてすぐなところにある。今は今年の大河ドラマ『八重の桜』を前面に出し、看板にも『八重のふるさと福島県』とイラストも付いている。

中にはいるとすぐに県産のリンゴが試食付きで売られている。

中には赤べこや野馬追、会津塗などの工芸品や野菜の味噌漬け、そば、喜多方ラーメン、こづゆ、鰊の山椒漬などの郷土食などがきちんと並んでいる。ただし、原発事故の影響か、水産物は殆ど並んでいない。


お酒は大七や奥の松、花春、箕輪門、末廣、開當が生酒・吟醸・大吟醸とかなりの品ぞろえとなっている。


ただ、如何せんやや狭い上にフードコーナーもなく、『八重』と『八重洲』
を掛けたのかもしれないが、あまり周囲には店もなく、折角これだけのの品ぞろえなのにやや人の入りが寂しいのそのせいかもしれない。震災からの復活を果たさんとしている福島県、エールを送りたい。


竹葉亭銀座店 銀座グルメ

2013-12-17 06:44:59 | グルメ

銀座でうなぎといえば竹葉亭、本店も趣きがあっていいが、買い物帰りや何かのついでに寄って食べて帰るには銀座店がお勧めである。もうこの店に来るようになって何年経つだろうか。改装前からよく親父などときていたが、相変わらず美味い。少し前までは京橋に、かなり古い話をすると丸ビルや夏だけだが、軽井沢にも店があったが、今はその事実さえ知る人は少ないだろう。
場所は銀座線出口の前で日産ギャラリーのすぐそば、1階は椅子席で年をめしたかたに人気、小生は2階の窓際の席が好きだ。銀座四丁目交差点を見ているだけで飽きがこない。

注文はまず、胡麻酢和え、これは胡麻と酢で味付けられた蓮根の薄切りとクラゲを和えたもの。あまり他の店ではお目にかかれない。『海老しんじょ』『鴨ロース』『イカのウニ和え』などが酒のあての定番。また、必ず『ウナギの白焼き』は頼んでしまう。ワサビと醤油で食べるあっさり感が堪らない。本当は『鯛のかぶと焼き』か『かぶと煮』『骨蒸し』が値段も安く、お勧めだが、2人だと後のうな丼が入らなくなる。鯛のかぶとが安いのは、もう一つの看板料理『鯛茶漬け』がよく出るからだろう。

そして、うな丼Aを注文、もう若くないので小振りで十分だが、肝吸いは外せない。

まず、漬物盛り合わせが出るくるが、この中の沢庵は美味い。それほど待たずにうな丼が登場。一時ご飯が少なかったが、今はちょうど蒲焼きとバランスが取れていて、タレも比較的辛口でくどさが全くない。これだけつまんで、ビール一本、酒2合を2人で呑んでもちょうどの量である。欠点は予約出来ないことだが、そこまでしたい客は本店に行けば良いという示唆かもしれない。
竹葉亭銀座店
中央区銀座5ー8ー3
0335710667

浅草での年末の買い物

2013-12-16 06:41:29 | 日記

年末が近くなると必ず浅草を訪れる。来週の三連休は行事が立て込んでいるため、家を3時半に出て浅草に向かう。新仲見世からいつもの通り正月の縁起物が飾られた仲見世に入る。


巨大なコマや羽子板、馬の飾り、餅などが飾られており、ここはクリスマスツリーでなく、寺であることを実感。間も無く、宝蔵門に到着、小舟町の文字が鮮やかに浮かぶ。



隣には五重塔もライトアップ。5時の閉門も近いため、慌てて本堂にお詣りする。賽銭箱の隣には大きな羽子板が奉納。本堂を出て振り返ると左手に大関、右手に月桂冠の四斗樽80個ずつが奉納されている。


仲見世に並行する細い通りを行くと手拭いの『ふじ屋』、毎年翌年の手拭いを2種類染め抜いているが、それを買うのが今日の最大の目的、縦型は馬と梅の木、横型は赤い鞍で飾られた馬の姿、悩んで後者を購入。早速、クリスマス終了後にも飾る予定。

次に新調した雷門の提灯を見に行く。10年毎に松下電器が奉納しているもので、11月に飾られたものが6代目で京都山科の山崎氏が中心となり、約1年かけ新調したものだが、さすがに立派である。さらに干支の置物などを冷やかし、今度は吾妻橋方面に向かうが、少し冷えてくる。
川を渡り、右斜め前に歩くが、佃煮の海老屋がアサリの朝だきなど懐かしいものを扱っている。

さらに次の信号を渡ると『こんぶの岩崎』の看板が見えてくる。ここのお目当ては朧昆布で出汁の元を包み、食べる際にはこれを柔らかくし、すまし汁になる『おぼろの実』を買いにきた。
あとはその近くに見付けた東京スカイツリーのよく見える歩道橋からじっくりツリーを眺める。

今日は赤と白でほぼ満月の月がすぐ上で輝いてました。うなぎでも食べて帰ろう。

柑橘類の植木

2013-12-15 08:25:25 | 日記

三鷹にあるJA東京むさし三鷹緑地センターにポインセチアを買いに行く。この季節、シクラメンや千両などクリスマスやお正月を飾る植物が多く、あとはパンジーの仲間が幅を利かせている。
しかし、その中でオレンジ色の実をつけた柑橘類も多数並んでいる。
小さいほう、といっても実の大きさだが、キンカンは沢山の小さな実をつけている。

そして、ユズ。他の柑橘に比べ、ゴツゴツした感じだが、この木が一本あったら柚子湯に何度も入れそうと思うと欲しくなる。

苗の値段が高いのはゴールドオレンジ、これは神奈川県で全国生産の7割が栽培される甘いミカンで別名、黄金柑、黄蜜柑と呼ばれている。ピール(皮の砂糖漬け)も美味しいらしい。
さらに、夏ミカン、この命名は不思議である。というのは今でももう黄色い実はなっているが、今の時期はまだまだ酸が強すぎて食べることはできない。冬収穫し、貯蔵して酸を抜くか、初夏まで木成りで完熟させて酸を抜くかしないと食用にならないので夏ミカンと呼ばれるようになったらしい。だから、今も実はなっている。

最後に大きな実はカボス、これは果物でも果肉を食べることは少なく、もっぱら果汁を料理に使うことが多い。緑のうちから使えるが、完熟すると黄色くなる。昔、九州にいた頃は大分の取引先から良くもらったが、いつも焼酎に浮かべていた。

さらにハウスの外にはレモンや温州みかんなどの大きな苗木もあり、柑橘の種類には驚かされた。もう少し庭の日当たりが良ければ、植えて見たいものである。

あら川~東十条グルメ

2013-12-14 00:21:46 | グルメ

東十条で京浜東北線を降りたのは初めて、いまから30年以上前に同じゼミの女の子を家まで送ってきたが、それが、最初で最後である。駅は電車区に面しており、乗降客も少ない。南口で降りて左手に坂を降り、大きな交差点を左に曲がるとすぐのマンションの一階に店はある。(因みに北口からの方が分かりやすいらしい。

店の名前は『あら川』、天ぷらを中心に料理の種類はかなり多い。少し早く着いたので、まず生ビール、さらにあん肝をたのむ。突き出しが穴子の煮こごりが二切れ、味がしっかりしていて、美味い。さらにあん肝は常温でポン酢も酢があまり立たず、酒のあてに最高。


後輩がようやく合流して、酒に。まずは十四代本丸から。つまみはカワハギの薄造り。肝は炙ってあり、身は旨味がえり、なかなかのもの。

いよいよ本番の天ぷらに突入、始めは『さいまき』2本、塩で食すが、とにかく甘い。次に『キス』定番ながら始め塩、尾は天つゆで。つぎは『甘鯛』この店では尼鯛と表記、確かに尼のように丸い顔をしている。鱗を上手く処理して、松かさ造りで身が甘い。次は銀杏、さらに牡蠣、これも大振りで味が濃い。



リクエストの穴子は半分はしお、残りは天つゆで。個人的にはやはり穴子は天つゆが美味い。さらにさつまいも、この店では『丸十』、これは島津の紋所、味が濃い。つまみはエビ味噌、何尾が入っているのか、これだけでイタリア料理のソースになりそうである。

続いて酒は『南』の無濾過、さらに『陸奥八仙』のこの店のオリジナルラベル、そして”ワサビなす”を食べながら『橘屋』 、途中からハマグリの天ぷら、醤油で味付けされており、とにかく美味い。天たねは烏賊、タマネギ、アスパラ、キノコ類などまだまだあるが、酒も肴ももう入らずここで終了。一品料理もきんきの煮付けやのどぐろの塩焼きなど食べたいものも数多く有るが、次へのお楽しみ。

締めは小柱のかき揚げが乗った天茶、ああ満足、東十条まできたかいが十分あり、あら川さんと親しげに色々注文を受けたり、聞かれたり、忙しくともいつもニコニコ、この雰囲気をズーと
大切にして欲しい店である。




あら川
北区東十条3ー3ー1小田急マンション1階
0339121430

1961年10月交通公社時刻表

2013-12-13 00:05:26 | 日記

鉄道シリーズ その26。日本交通公社発行、1961年(昭和36年)10月の時刻表をめくって見たが、わずか50年ながら新幹線がなかった頃と今の違いを思い知らされる点が多い。

昭和36年10月の改正は鉄道の輸送力を大幅に増強したもので、東海道本線の特急を7本から14本に増やしたことから“倍増ダイヤ”と当時呼ばれた。ちょうどローカル線が蒸気機関車から気動車に変わり、夜行が寝台にかわるなど戦後の日本では大きな転換時期だったといえる。それだけに古いものと新しいものが同居しており、新しい国鉄を標榜してはいたが、それでも現代とは大きく違うところがいくつもある。

まず、時刻表を開けると表2と言われる場所に長銀の『リッチョー、ワリチョー』の広告、反対には写りの悪い周遊観光地の案内、まず、気仙沼湾、帆柱山ケーブル、赤穂御崎、豊富温泉、美保関、川田の土柱、八ヶ岳山麓と続く。これらの観光地がどこにあるか全て言える現代人は殆どいないだろう。(小生もかなり詳しい方だが、川田の土柱は知らなかった。)

少しめくると時刻表の本文の前に時刻表に使われる記号の説明があるのだが、記号自体が今はないものの連発である。まず、『準急行列車』これは以前このシリーズで書いたため割愛する。

次に『展望車』これは当時のこだまや富士、つばめ、はとなど東海道を走る151系の特別急行の1号車にあった通称パーラーカーのことで、東京~大阪の二等特急券が800円の頃、一等特急券1920円と特別座席券1800円が必要(それ以外に乗車券が必要)というかなりの特別な車両であった。

さらに、目を引いたのは『電報取扱』『弁当販売』『洗面所設置』『赤帽所在』『弘済会医療班設置』の各駅の記号。
今でこそお悔やみと結婚の時くらいしか使わなくなった『電報』もこの時代は大切な通信手段で松本清張原作の映画『点と線』でも鳥飼刑事や三原警部補が盛んに電報を打っていたシーンを思い出す。
『駅弁』に関しては本編の下の欄に各駅で買うことが出来る特殊駅弁が書いてある。当時の列車は窓が空けることができたこともあり、駅弁は旅の大きな楽しみであった。例えば東海道本線なら、横浜他・シウマイ(100円)、大船・藤沢・あじの押ずし(80円)、沼津・さばずし(100円)、トンカツ弁当(100円)、清水・羽衣弁当(100円)、豊橋・うなぎ丼(150円)…。と列挙されている。
さらに面白いのは『洗面所設置駅』がわざわざ書かれていること。当時はまだSLが走っていたため、ススなどで汚れた顔を洗うためか、国府津、熱海、沼津、富士、静岡、浜松などにある。確かに昔は立派な水道が並ぶ洗面所がホームにあった記憶があったものの、今は殆ど見ることもない。

『赤帽』(ポーター)に至っては小生はもう40年程前に京都駅で見たのが最後である。それでも東京駅には2001年まで、岡山駅には2006年までいた記録はあるが。ちなみに2005年の運搬料は荷物の大きさに関わらず1個500円だった。
『鉄道弘済会医療班』は旅行中のケガや病気に対応する旅行者援護事業をかつて行なっていた。1970年代までは全国主要駅に援護所があったが、今は廃止されている。
古い時刻表をわずか15ページめくるだけでも色々なシーンが目に浮かび、それを想像するだけで楽しくなる。これだから時刻表はやめられない。
(続きはまた改めてとしたい。)

大観音寺 人形町の古刹

2013-12-12 06:43:14 | 日記

人形町に勤務し始めて半年が過ぎ、かなり町並みも分かってきた。この付近には神社は日本橋七福神の水天宮を始め数多くあるが、寺は思いのほか少ない。


その中にあって、歴史があるのは大観音寺である。場所は人形町通りの水天宮と人形町の交差点の中間地点にあり、創建年代は分からないが、今の場所に建てられたのは明治13年のこと。
本尊の鉄観音は北条政子が創建した新清水寺の本尊であったもので、寺は1258年に火災で消滅した。しかし、その後、江戸時代に鎌倉の『鉄ノ井(くろがねのい)』から頭部だけが出てきたもの。元祿12年(1699年)に鉄観音堂に安置されたが、明治初頭に廃仏毀釈で捨てられるところを深川に移され、その後今の場所にやって来たものである。

毎月11日と17日に本尊の開帳をしているが、初めて気がつき、ようやくお詣りすることができた。江戸33観音の3番札所となっている。



境内には他にも韋駄天尊、地蔵尊、馬頭観音なども祀られており、小さいながら立派なお寺であった。何より頭だけしかない観音さまは高さ170cm、面幅54cmと大きなもので4頭身でも8mはあった観音様を拝みたいと思ったのは私だけであろうか。