hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

神田川夏景

2014-07-21 05:45:36 | 日記

しばらく週末は梅雨の雨だったり、強い日差しだったりして吉祥寺まで歩くこともなかった。昨日から少し涼しく風もあるので16時に家を出て神田川沿いに井の頭池を目指す。

もう紫陽花もおしまいだなあと思っているとセミがうるさく鳴き始める季節の変わり目。三鷹台駅そばには各科の医院が同居する医療ビルがオープンし、1階は日本調剤の薬局とマツモトキヨシ、アフラックの代理店が入っていた。

この辺りからは神田川沿いの道を歩くが、川の中にはせいの高い水草が。よく見るとガマで茶色のソーセージ状の穂が出来ている。いつの間にこれだけガマだらけになったのかとよく見ると川トンボの一種、ハグロトンボが羽を閉じて止まっている。やはり、神田川も水が綺麗になったのかと少し感心する。川にはアメンボや鯉、カモなどもいて日がなノンビリしているように見える。

少し行くと川岸には色とりどりのオシロイバナや白いオニユリ、サルスベリの濃いピンクの花などが繚乱とばかり咲いている。しかし、暑いからか一時に比べ散歩する人も少ない。

井の頭公園駅近くまで来ると周囲の緑は濃くなり、川でザリガニ釣りをする子供や大人も膝したまで川に入り格闘している。

井の頭池まで来るとさすがに人も増え、池を見るとラッキーなオスのスワンボートを発見、何かいいことがある予感。因みにオスのスワンボートとは一台だけある眉毛の凛々しいスワンのことで、実は壊れたのを職員が修理した為の産物とか。

無事に七井橋に到着、池を見るとなぜか池の水位が高い。これもゲリラ豪雨が成せる技か。丁度その頃から少し涼しい風が強くなったので慌てて食堂へ。すぐに雷やゲリラ豪雨がやってきて危ない危ないと言った散策、もう梅雨明けも近い。


お盆雑考

2014-07-20 07:59:17 | 日記

お盆というと8月中旬の旧盆を連想するが、東京などは新盆で行うことが多い。先週の週末、家の近所を歩いていたら玄関に岐阜提燈が飾られていた。

そもそもお盆を正式に言うと『盂蘭盆会』で7月15日を中心として行われる先祖供養の儀式で、先祖の霊があの世から戻ってきて、また、天に登っていく日本古来の信仰と仏教行事がむすびついたものである。

元は盂蘭盆会はサンスクリット『ウラバンナ』の音訳で『逆さに吊るされた苦しみ』の意味。釈迦の弟子である目蓮が釈迦の教えに沿って僧侶に食べ物を施し、供養することで死んで地獄に落ちた母を救ったと言う言い伝えによるらしい。

東京などは先週末がお盆だったが、通常は精霊棚を設け、位牌を出し、果物や野菜、ご飯や餅、水などを供える。その際に『キュウリで作った馬』や『ナスで作った牛』を飾る。馬は『足の速い馬で早くあの世から帰るように』、牛は『足が遅く、力の強い牛はゆっくりあの世に戻り、この世から供物を多くもって帰れるように』との願いがこめられている。

そして、13日の夕刻には盆提燈を灯し、庭先で麻幹を迎え火としてたく。また、16日の夕刻には精霊送りの火として麻幹をたく、というのかわ一般的。特に亡くなってから始めて迎えるお盆のことを新盆と呼び、盛大に行うことが多い。

実は夏の行事はお盆に纏わるものが多く、京都の大文字焼きはお盆の送り火であり、長崎の精霊流しは先祖がこれに乗って帰る風習。


また、盆踊りを行なうのも平安時代に空也上人が始めたもので歴史がある。全国には郡上踊り(岐阜県)、おわら風の盆(富山県)、阿波踊り(徳島県)、デカンショ祭り(兵庫県)など数多く、名が知られていないものも含めるとその数は無数にある。また、沖縄のエイサーも盆踊りの一つだとか。

夏の暑い時期に先祖を思うのも日本人らしくて良い習慣だとしみじみ思う。こんなことを考えるようになったのも年をとった証拠かも知れない。

日本橋横山町

2014-07-19 04:48:45 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その9。今回は日本橋横山町。この町は今は繊維を扱う現金問屋や掛売り問屋が多く立ち並ぶ。横山町と馬喰町の間にある新道通り沿いに軒先まで商品が積まれるほどの混雑ぶりである。

日本橋から行くと小伝馬町との境のすぐ先にみずほ銀行横山町支店があり、その先が問屋街となっている。和服や洋服、帽子や靴、鞄などの小物を扱う店が軒を並べており、広い横山町大通りと馬喰町との境の新道の2本の通りの両側に広がり、素人お断りの現金問屋と洋服のサカゼン(本店)のような小売店、素人もOKの小規模な問屋と色々な種類の店が混在している。


残念ながらそれほどの繁盛はないが、大阪の船場ほど閉店した店舗は多くない。道を歩くと問屋街は浅草橋で終点となる。


江戸時代は関西方面に商品を売り捌く問屋が隣の馬喰町の宿屋に泊まり、色々と品物を選び、買っていく。こうした交易の増加に伴い、問屋も増加して、小間物屋、紙屋、煙草入屋、本屋(地本双紙問屋)が目立つ存在であったと言われている。


横山町の位置は日本橋地区の北東端で東が小伝馬町、北が馬喰町、南と西が東日本橋に囲まれる台形をしている。すぐ北には神田川、西には隅田川、川を渡ると両国と賑やかなばしょでであった。
町の名前の起源はよくわからないが、永禄2年の『小田原役帳』には石井某の知行として『5貫300文・江戸横山分』という記述があり、その頃からすでに一村落を成していたようである。

いま横山町は近隣に馬喰町駅(JR総武線)、馬喰横山駅(都営地下鉄新宿線)、東日本橋駅(都営浅草線)が通りかなり交通は至便でオフィスビルやマンションなどに転用されるものも増加し、古い部分と新しい部分が同居する町である。


揚子江菜館~神保町グルメ

2014-07-18 06:29:27 | グルメ

蒸し蒸しする日が続き、梅雨の明ける気配のない今年の7月。仕事で神保町に行ったついでに久々に揚子江菜館に行きたくなった。


神保町でもこの界隈には懐かしい店が多い。喫茶店の『さぼうる』、あまりコーヒーの記憶はないがスパゲッティナポリタンがうまかった記憶がある。すぐそばには人生劇場というパチンコ屋、ここはいつも機種が古く、あまり出したことはない。

それでも町並みは予備校に通っていた38年前に比べてやはり変わった。あまり鮮明ではないが、もっと古本屋は沢山あった気がするし、人も多かった。でも、相変わらず中華料理店とカレー屋、洋食屋が並んでいることは変わらない。

前置きが長くなったが、揚子江菜館に前回来たのももう10年くらい前かであよ。昼2時前の割りにはお客も多く、店に入ると3階へと言われる。奥の遅いエレベーターで上がるとポツポツ10人くらいの先客、しかし、驚くべきは全員が冷やし中華を頼んでいる。(まだ食べていなかった人もその後運ばれてきた。)おそるべし、名物。

小生はというと勿論、茶とおしぼりを持ってきたウェートレス(少し表現が古い?)に『冷やし中華をお願いします。』と注文。予想通りの中国なまりの日本語で『シュウマイか杏仁豆腐がつきますが、どっちにします。』と聞かれ、反射的に『シュウマイ』と答えた。

そのあとメニューを見るのだから順番が違うが、冷やし中華は実は3種類ある。小生が注文したのが『五色涼拌麺』(1510円)ほかにも『三絲涼麺』(1290円)、『坦々涼麺』(1030円)とあるが、これはタレと上に乗っている具が違うようだ。

約5分経ってシュウマイと冷やし中華が運ばれてくる。まず、最初にシュウマイを食べるが、なかなか旨い。

メインの冷やし中華だが、確かに富士山を思わせる盛り付けが特徴があり、具も細切りにされたキュウリ、糸寒天、チャーシュー、錦糸卵、煮付けた筍、それぞれ食感のいいものである。添えられているのが、しいたけの煮物、海老2尾、肉団子(小)2個、サヤエンドウと8種類も載せてあり、それにたっぷりのスープ。

また、麺もシッカリ崩れないように盛り付けられており、しっかり混ぜないと捌けない。スープの味は懐かしい甘酸っぱい味で、麺の温度は冷たいというよりヌルい感じ。それぞれの具が特徴があり、特に筍と糸寒天はこのメニューによくあっている。やや値段は高いが、量もそれなりにあり、シュウマイも食べると昼ならば腹一杯になる。

長い間守られて来た元祖冷やし中華、時々食べたくなる味。いつものことだが、違うものも試して見たいが、この店に行くインターバルならば次もまた冷やし中華を食べてしまいそうである。

揚子江菜館
千代田区神田神保町1ー11ー3
0332910218

紅梅坂・幽霊坂

2014-07-17 05:34:28 | 日記

『江戸の坂・東京の坂』シリーズ その4。今回は神田駿河台の紅梅坂・幽霊坂。

紅梅坂は本郷通りを小川町から御茶ノ水駅に向かい、ニコライ堂の北側を左手に登る坂である。江戸名所図会にもあり、この坂を登りつめたあたりに光感寺という紅梅で有名な寺があったため、光感寺坂または紅梅坂と呼ばれていた。


実は元々この坂は本郷通りを挟んで反対側の幽霊坂と連がっていたが、1924年本郷通り拡張されるに伴い、紅梅坂と幽霊坂と分割されてしまった。


反対側の幽霊坂は御茶ノ水ソラシティの下を御茶ノ水駅に向かい右手に下りて行く坂で建物に沿ってL字に曲がっている。

江戸には幽霊坂が多く、この名前が付けられた坂は墓地の周辺や木が鬱蒼と生えた昼でも薄暗く寂しい場所にある坂に付けられたものが多いが、この坂も同様であったようである。

それにしても元は2つの名前が付けられた一つの坂が、分断されて一つずつその名を残しているのは珍しい。

周囲には笹巻き毛抜寿しを売る店や太田姫稲荷神社など江戸の香りのする施設も残されている。


また、駿河台辺りには他にも淡路坂、新坂、雁木坂、甲賀坂、観音坂、池田坂などまだ多くあり、またいずれ紹介して行きたい。

大阪百貨店

2014-07-16 05:43:06 | 日記

アンテナショップ巡り その9。有楽町の交通会館に行く機会があり、あまりに沢山のアンテナショップがあるのに驚いた。1階にある北海道や諸国物産など美瑛町も入れると16道府県のアンテナショップがひしめいている。

その中でも異彩を放っていたの大阪百貨店。自治体とは関係がなく、運営しているのはカトープレジャーグループというホテルや飲食店、スパなどを手広くやっている会社。

肝心のお店であるが、外に向いてイカ焼き、どて焼き、肉まん、お好み焼き、たこ焼きなどを食べさせるコーナー。

内部では大阪らしい食品を売るコーナー(関西味のどん兵衛、ぼんち揚げ、箕面名物もみじの天ぷら、たこパティエ)、大阪の物産(泉州水なす、旭ポン酢、コーライのキムチ)など大阪人には懐かしいものを多く売っている。

特に『呼吸チョコ』や『551蓬莱の豚まん』のように大阪でしか買えない商品も多数ある。

それにしても殆どが食べ物なのは大阪らしいのかもしれない。

大阪百貨店
千代田区有楽町2ー10ー1
0352201333

やまちゃん(再訪)~四谷グルメ

2014-07-15 06:27:23 | グルメ

7月11日朝方台風8号が東京に接近、午後もあまり天気は安定はせず、四谷三丁目駅を上がるとまた雨模様。しかし、台風による中止を懸念したが、呑みに行けるなとホッとした夜。大丸東京店で握り寿司と焼き鳥、唐揚げの定番つまみを購入、6時20分にまた四谷三丁目駅近くのビルの4階にいってしまう。

まあ、簡単に言うと『やまちゃん』再訪となった訳で、前回の教訓も生かし、せいぜい飲もうという趣向。行くと既に相方は到着済み、お金を払いすぐのスタート。しかし先日と違い既に8人グループが先に盛り上がり、やや焦り気味。

一杯目はつい知っている新政No6シルバー(秋田県)。軽いのから入るのがいい。相方購入のイカの寿司をつまみながら酒が美味い。さらによく知っている王禄渓(島根県)に手を出す。しっかりした呑みごこちながら、呑みやすく好きな酒。相方購入の刺身、特にマグロ赤身とホタテの刺身が良く合う。当方もネギトロ巻きと中トロの寿司を出す。


そろそろこの辺で知らない酒に。最初はラベルにギターのついた車坂(ON THE ROCK 無濾過純米酒・和歌山県)が気になる。口を付けるとかなり濃く、少しひね香、苦味がある、逆に酸はあまり感じない変わった味。後で調べると氷を浮かべオンザロックもいいらしい。(勉強不足を露呈か?)


次は若波FY2(福岡県)これは女性杜氏の今村有香さんが作り出すワイン酵母を使った酒、作り手のおっしゃるとおり、爽やかな酸味の効いたまさに暑い夏に飲める日本酒。


続いて天吹酒造の天吹大吟醸夏色、これで一升3456円の酒とは思えない完成度。ラベルも斬新である。


次は旨口をと焼き鳥に合う酒に選んだのが写楽(福島県)純米吟醸うす濁り、これは今日一でした。大那(栃木県)も夏の酒蛍、意外に重く感じる。更にブラック山本(秋田県)白瀑と同じ蔵だが、キレがよく辛い酒。


ここで取って置きの一杯だけ呑めるスペシャルに飛露喜吟醸(福島県)を選択、洗練されて上手いよ。

ここで新たに最近はまっている我山流の裏我山(山形県)が登場。飲んだ事はある酒だが、やはり美味い。そろそろ飲み過ぎとなり、最後にたかちよ(福岡県)、最近人気が出て来ていると相方の情報、スッキリして飲みやすく、買ってみたい酒である。とか何とかいいながら、このあと3~4杯飲んだが、もう場内は立ち飲みも含め満員。ご亭主も酒を楽しそうに呑んでいい雰囲気、結果2時間半近くいたが、最初に帰ったのは我々であった。やはり、健康診断でバリウムを飲んだのが、敗因かなあ!



茂林寺(群馬県)

2014-07-14 05:00:00 | 日記
古刹をめぐる その18。今回は茂林寺である。茂林寺といえば分福茶釜で有名な群馬県館林市にある曹洞宗の古刹である。本尊は釈迦牟尼仏であるが、寺宝としての茶釜の方が有名かも知れない。


訪れた7月12日は台風一過の大変な晴天で11時には34度まで上がりもう夏本番の暑さ。館林駅前にはたぬきの石像とジャイアンツが創成期に特訓をやった茂林寺球場を記念した碑が隣り合ってたっている。

そこから4.1km、車なら10分もかからないで茂林寺に到着。大きな無料駐車場もあって行きやすい。参道には7~8件程度の土産物屋はあり、タヌキの置物からうどんや菓子まで多数取り揃えているが、氷とラムネ以外は全く売れていない様子。山門をくぐると左右に狸の置物がお出迎え。それぞれ11体ずつ有り、茶釜に入ったやつや徳利をぶら下げているのなどいろいろな格好をしている。さらに奥に行くと昭和35年に東武鉄道が奉納した大きなタヌキが大将のような顔をして見下ろしている。


そのお隣には聖観音像、さらにお堂がいくつか並び、奥には本堂。それにしても狛犬までがタヌキにはおそれいる。中の説明にはかつてアメリカ軍が戦車を慰霊のために奉納したことや森繁久彌、伴淳三郎、フランキー堺主演でジャイアント馬場が出ていた映画が撮影されたこともあったようで記念の絵馬も残されていた。(喜劇駅前茶釜、1963年東宝)


そして本堂は茅葺きの立派なもの。このお寺自体は1426年(室町時代中期)に大林正通禅師が開山。有名な茶釜は元亀元年の大茶会の際に千人法会があり喫茶に要する茶釜がなく困っていたところ、一夜中にどこからともなく茶釜が出てきて、これを茶堂に据えたところ常に汲んでも湯が無くならない不思議な茶釜として有名になった。その後161年間はこの寺にあったのだが突然寺を去ってしまい、後世の守鶴和尚がタヌキの化身だろうと伝えたところからおとぎ話になったものと言われている。ただ、このお寺に行くといかにもタヌキが集まってきそうな場所で有り、今もタヌキの剥製のコレクションや茶釜がかざってある。(ただ、なくなってしまったはずの茶釜がなぜあるのかは不思議だった。)


寺務所で巨人が創成期に地獄の特訓をしたと語り継がれたグラウンドの話を聞くと茂林寺前駅に隣接した所に今は関東学園のグラウンドになって残っていると聞き、早速見に行く。すると今は巨人軍の選手に成り代わり、子供達がいろいろな競技を楽しんでいた。


まあ、それにしてもそこにもここにも、交通安全の標識から農協の表札まで館林にはタヌキが多かったこと、びっくりであった。



乃木坂(港区)

2014-07-13 05:00:00 | 日記
『東京の坂・江戸の坂』シリーズ その3。東京の地下鉄の駅で『坂』のつく駅は神楽坂(牛込神楽坂も含む)、志村坂上、中野坂上などがあるが、一番有名なのは今回取り上げる『乃木坂』であろう。



この坂の起源は乃木希典の家があったことであるが、それ名になったのは大正元年のことで江戸時代は幽霊坂と呼ばれていた。名づけたきっかけは1912年に乃木が明治天皇に殉じ、夫妻が自害したことから、これを悼み、当時の赤坂区議会が改名を議決したものでそれを記念した石碑が乃木神社の隣に今もある。


乃木希典の日露戦争での評価は坂の上の雲で批判されたように当時も色々あったが、氏が真摯に生きたことだけは間違いなかろう。当時の人はその名を残そうと神社を建て、坂に名を残したのである。勿論、その後、東郷元帥とともに象徴的に遇されたのも事実ではあるが。


ところで乃木坂の頂上は乃木坂トンネルの出口でそこから乃木神社の前を通り、赤坂方向になだらかに下る。周囲には小規模な事務所ビルが並びそれほど特色もないが、なぜか歌謡曲の歌詞にはよく使われ、(梓みちよの『メランコリー』、ロスインディオス&シルビアの『別れても好きな人』)また、AKBに対抗するグループ『乃木坂46』も有名だが、坂が知名度を上げたのは1972年に地下鉄千代田線の駅が乃木坂と命名されたことによる。今も乃木邸や乃木神社がひっそり立ち、偉人の功績を偲び、明治天皇に殉じた人柄など昔をはせながら散歩をするには良い場所である。

ビニール傘考

2014-07-12 05:00:00 | 日記
今年の梅雨はしっかり雨が降る。今は外出する機会も多いが、手放せないのが傘である。最近は傘の値段も大幅に下がり、普通の傘は500円、ビニール傘は100円で手に入るようになった。ただ、不思議なことに安いゆえか、ビニール傘はついつい置き忘れることが多い。

ビニール傘の歴史は意外に古く、東京都台東区のホワイトローズという傘の老舗が1958年に初めて作った。はじめの頃は透明ではなく、白いもので、素材も高価であったことや大手商社での扱いを断られたことから止む無く、路面販売でスタートした。(因みに価格は350円)その後、東京オリンピックが契機になり、アメリカで爆発的に売れ始め、1970〜80年頃には年間発売が4000万本程度となった。

さらに中国をはじめとする海外から廉価な商品が輸入され、輸入本数は1億本を上回る一方で、国内生産品は1%に満たない状況にある。最近、話題となったのは美智子皇后が雨の園遊会でお使いになった国産高級ビニール傘の『縁結』で骨は3.5mmのグラスファイバー、傘の上部に風が抜ける弁が付いたもので1本8000円する。


他にも紋付にも合わせられる正装用透明傘『モンツキー』、選挙の候補者用に作られた勝てる雨傘『カテール』など色々なニーズに合わせて新商品を開発する日本に唯一自社工場を持つホワイトローズはHPを見ているだけで面白い。

ビニール傘はほかにも警察官が警らに行く際に不審な人物がよく見えるという理由から使われるなど安いからという理由だけで重宝されている訳ではない。また、コンビニでも70cmの大型のものが売られるなどその進化は著しい。どうも『傘は天下のまわりもの』などと言っていつも置き忘れいる場合ではないようだ。

(さすがに浮世絵切手にビニガサがないので番傘にしました。)