hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

宮益坂(渋谷区)

2014-07-11 05:00:00 | 日記
『東京の坂・江戸の坂』シリーズ その2。渋谷は谷がつくだけあって四方が坂に囲まれている。

駅に向かっての道玄坂、宮益坂、宮益坂でつながる金王坂(こんのう)、他にも八幡坂やオルガン坂、間坂、スペイン坂など僅かな範囲に多くの坂が集まっている。ただ、坂の名前は比較的新しいものが多く、ロフトに沿っての『間坂』は渋谷駅と公園通りの間という意味で1989年に一般公募で決まったもの。スペイン坂は近隣の喫茶店がスペイン風にして、1975年にパルコから命名をして欲しいと頼まれ、『スペイン坂』とした。


この中で江戸時代からあるのは『宮益坂』。元は富士見坂と言われていたが、坂の途中にある千代田稲荷(今の御嶽神社)の御岳権現にあやかって『宮益町』と変更したことからこの坂は『宮益坂』と呼ばれるようになった。


渋谷駅前から国道246号線に向かう坂で頂上で『金王坂』と交わる。もともとは大山詣りの大山街道を江戸から出て初めの茶屋があった場所で『江戸名所図会』にも農家のほか、茶屋や酒屋が出ており、江戸を立った旅人にとって三軒茶屋の手前の休憩所であった。


今は並木が美しい坂道で銀行や郵便局などが並んでおり、坂の頂上付近のガソリンスタンドも今も盛業である。交通量は多いが、坂を登り、左に折れるとこどもの城や国連大学、青山学院などがある華やかな場所である。

台風8号

2014-07-10 05:00:00 | 日記
台風のシーズンはやはり9月〜10月、一般的に二百十日や二百二十日というあたりなのに今年は早くも7月上旬に台風8号が上陸、沖縄・九州は大変な状況でこれから東海・関東の方にやってきそうな状況にある。


では台風とは何をもってきめるのか。台風と熱帯低気圧の境目は中心付近の最大風速が17m/sか否かで、17m/sを越えると台風に昇格する。また、台風はもちろん日本語で、その名前の由来は色々あるが、英語でもtyphoon、中国語もタイフンであり、台風(taifu)といえば、ほぼどこでも通用するらしい。

ところで天気予報を聞いていると『強い大型の台風』などと台風を表現するが、この基準は何のか、気になって調べて見た。気象庁は『最大風速』と『風速15m/s以上の半径』で決めている。つまり、『強さ×大きさ』である。もともとは『強さ』に関しては『弱い〜並みの強さ〜強い〜非常に強い〜猛烈な』、『大きさ』に関しては『ごく小さい〜小型〜中型〜大型〜超大型』の5段階に分けられていた。そのため、『ごく小さい弱い台風』も存在したのだが、気象庁は2000年からは強さの単位であった『弱い〜並みの強さ』、大きさの単位であった『ごく小さい〜中型』という表現は一般人が危険性を過小評価する可能性があるとしてやめることにしたのだとか。台風を甘く見る奴もいるんだね。

因みにただいま日本に接近して来ている台風8号の強さは最大風速が45m/sのため、上から二つ目の『非常に強い』(43.7〜54.0m/s)、大きさは強風域が東側700km、西側440kmでこちらも上から二つ目の『大型』ということになる。つまり、かなり大型で強い台風であることがわかる。また、中心気圧は945hPa、最大瞬間風速は60m/sである。因みに陸上における中心気圧が低いといわれる室戸台風は911hPs、枕崎台風は916hPaあたりである。ただ、最大風速は60m/sは今までの記録が69.8m/sであるからかなりの強さであることは間違いない。

昨年は年間31個と大量に発生し、26号が伊豆大島に大きな被害をもたらした(死者40人)のほか、18号は京都嵐山などに大きな被害を与え(死者6人)初めて特別警報が発令された。今回の台風は平成19年の4号台風に似た経路らしく、スライスがかかり、日本を縦断しそうである。こればかりは運を天にまかせるしかないのだが、兎に角、台風の当たり年にならないことを祈りたい。

(最後の『錦帯橋』の切手は台風と関係ないように思われるかもしれないが、昭和25年の台風で壊れたため、発行が延期され、完成後昭和28年5月発行された観光切手シリーズの最後の1枚である。)

宮田酒店(三鷹市)

2014-07-09 05:00:08 | 日記
いい酒を飲みたいならばいい酒屋を見つけるに限る、と常に思いつつ街を歩いている。我が家のそばにも三ツ矢酒店(西荻窪)や何回かブログで紹介した味ノマチダヤ(中野区)など結構ある、その中で三鷹市にもいい酒屋が2軒ある。一つは三鷹駅前にある碇屋さん。太宰治記念館のすぐ向かいくらいに有り、その品揃えはなかなかのもの。特に冷蔵庫にあまり酒が入らない小生の家では四合瓶の品揃えの多いこの店はありがたい。またワインやスピリッツも結構有り、初老のご店主が丁寧に説明してくれる。

そしてもう一軒が今回ご紹介する宮田酒店、実はこの店は昭和46年以来40年以上この地で営業している。場所は三鷹駅から車で武蔵境方向に走り、途中右に曲がりまっすぐ行ったあたりで7年ほど前に初めて行った時は静かな住宅地と雑木林の中に店があった。しかし、武蔵境通りが田無方向に抜けたため風景が一変、この大通り沿いに店は新築されて立っている。まだ、前の通りの交通量は少ないが、それでも随分変わった感がある。

店には大きな冷蔵庫が並び、中には八海山や阿部勘、日高見、小左衛門とかなりの品揃えにあれもこれも欲しくなる。完全に温度管理がされ、しかもよく売れるこれがよい酒屋の特徴である。この日も長野県の川中島酒造の『幻舞大吟醸』が売られていて、これはなかなか手に入りませんよと言われたが、それこそ冷蔵庫に一升瓶が2本入っているため、お使い物のみを購入。次は冷蔵庫を開けといてくださいねと言われてしまった。(ちなみにキウイワインもこの店で発見。

あまり教えたくないけれどいい店です。特に日本酒や焼酎ファンには。


宮田酒店
三鷹市上連雀1-18-3
0422-51-9314

キウイワイン(三鷹市限定品)

2014-07-08 05:00:00 | グルメ
キウィは三鷹市の名産であることをどのくらいの人が知っているだろうか。キウイの栽培が始まったのが1978年、そして実はこの名産を使ったワインが三鷹市内の酒屋33軒と市外の数箇所で売られている。小生も毎年5月末から売り出していることはいつも練習に行くゴルフ練習場の受付の人に聞いてはいたが、今年もそうだが、学習能力の欠如から毎年忘れる。

しかし、今回は贈答用の日本手を頼まれ訪れた酒屋で偶然発見し、思い出した。2011年までは白のみであったが、2012年からは白、ロゼ、スパークリング、白にごりの4種類となった。(スパークリングは大小あり)但し、製造本数が白は4416本、ロゼは2508本あるが、白にごりは1920本、スパークリングは大が360本、小が1302本と少なくなかなか手に入らない。そして、ようやくこの酒屋で『白にごり』をゲットした。


三鷹だけにジブリのキャラクター(ポキ)が描かれたラベルがなかなか可愛くて飲むのが楽しみと思っていたら、今度は別の酒屋でスパークリング(330ml)を発見、また喜び勇んで購入した。(一日に何回酒屋に行くんだろう??)それがこのサイダーのような容器に入ったもの。


早速、待ちきれずよく冷やして、夜に開けてみたが、思っているほど甘くなく、爽やかでうまい。正直、今までの経験だと、ロゼや白はやや甘すぎるが、十分冷やせばワインとしての価値アリ。さらに三鷹市限定というところも気に入っている。皆様、三鷹市に出かけたら地元の酒屋によることをオススメする。それにしても、なかなか手に入らないものが、手に入るとなんかいいことがあるような気がするのは、根っからの楽天家からくるものなのか。ちなみに三鷹市にはワイナリーがなく、醸造は別のところで行っているが、材料のキウイは純三鷹市製である。次は『にごり』をあけるのが楽しみである。

西の関(大分県)

2014-07-07 05:00:00 | 日記
『気まぐれ酒蔵散歩 その4』。今回は大分県が誇る銘酒『西の関』を取り上げる。西の関といえば昭和の時代は『東の横綱は越の寒梅、西の横綱は西の関』と言われたほどの酒である。製造しているのは大分県国東市に本社を置く萱島酒造有限会社、場所は大分空港から国道を5キロ程度いったそれこそ日本の原風景の真っ只中にある蔵である。訪れたのはもう3年ほど前の夏休み、どっしりと構えた昔ながらの酒蔵で明治~昭和にかけて建設された煙突などは国の登録文化財にもなっている。


東京から朝一の飛行機で大分空港に到着、レンタカーを借りて最初にここに向かった。前もって見学のお願いもしていなかったが、親切に従業員のベテランの方が建物を案内してくださった。『今の時期は酒造りもないから暇なんだよ』といって外は照りつける太陽で暑い中、ひんやりとする蔵の中を見学させていただいた。その方の説明では、この蔵で作る酒の大方は地元で消費するためのものでコメも大分産のヒノヒカリが中心。とにかくここは両子山や文殊山の伏流水で水は豊富、だから良い酒ができるそうである。

1873年の創業で萱島家が代々当主を務めるが、明治20年ころ2代目の萱島米次郎が西日本を代表する酒の銘柄にしたいと『西の関』と名付けた。その後、戦争の混乱もあったが、戦後法人化し、さらに1963年にはまだ吟醸酒が一般的でなかった頃に販売を始めた。今も看板商品の『美吟』はその一つ。製造も東京向けには八反錦や山田錦などのブランド米を使い丁寧に作っている。


見学が終わり、女房が試飲をするのを横目に見ながら色々とお話を聞かせてもらい、記念にとワンカップを2本づついただいた。もちろん、東京みやげとして酒を5本買ったことは言うまでもない。そして後日飲んでみると地元用は確かに昔ながらの酒臭いお酒、ただ、東京用に作った吟醸はやや甘めながらしっかりした旨みの強い酒であった。


酒はもちろん暖かい素朴な人たちでいっぱいの酒蔵に感動。




よかよか~有楽町グルメ

2014-07-05 03:42:37 | グルメ

3月の八重洲『丼拓』に引き続き博多うどん第二弾。前の店からほど近い有楽町の交通会館のB1、店名は『よかよか』。交通会館は各県のアンテナショップや県の観光案内所が多く集まり、地下にも郷土料理の店が多い。


この店は昼はうどん屋、夜は居酒屋になる仕様で酒も伯楽星や南部美人など中々の品揃え。最近、博多おでんも始めたらしく、スジやギョウザ巻きなど懐かしい。

昼はランチセットAとBがあり、700円のBを注文。ごぼう天うどんにご飯は『かしわめし』と『いなり』から選択できる。もちろん、かしわめしを選択、後は漬物も付いてくる。うどんはこの店は特に選択しなくても柔らかい博多風、かなり現地に近い。小生は一味を掛けるが、『黄金生姜』がついている。これはおろし生姜と肉そぼろを混ぜ、海苔に載せたもの。これを溶かすと生姜がよく効くので辛いのが苦手な向きは一味はやめた方がいい。

ごぼう天は丸ごぼうを斜め切りにして揚げたもので、3つつく。歯ごたえがあって美味い。あとは、青ネギがテーブルにあればいうことなしなんだが。つゆも白醤油のやや甘めで飲み干せる旨さ。
かしわめしも博多のものという感じでごぼうとかしわがうまく炊き込まれている。

これだけでランチには十分、生姜のおかげで身体はポカポカというか、汗ダラダラ。しかし、汗は覚悟で次はすぐ近くにある長崎ちゃんぽんの『桃園』にいってみたい。


よかよか
千代田区有楽町2ー10ー1交通会館B1
07066604594

東京モノレール

2014-07-04 06:29:19 | 日記

鉄道シリーズ その70。今回は東京モノレール。東京モノレールは山手線浜松町駅から羽田空港第2ビルまで17.8kmを結ぶ日本では最初の本格的なモノレール線である。当初1961年に免許取得した頃は新橋を起点と考えていたが、用地取得がならず、やむなく浜松町を始発とした。


開業は1964年9月17日で東京オリンピックの直前、そのため今年に50周年を迎える。元は主要株主は日立グループであったが、2002年にJR東日本が日立物流の株式を買い取り、今はJR東日本の傘下にある。


当初は日立グループであったため、車両は全て日立製である。開業当時は100系という3両編成、途中駅もなく、空港への乗客輸送のみを行なっていたが、その後、1965年に大井競馬場駅、67年に羽田整備場駅、69年に流通センター駅、85年に昭和島駅、92年に天王洲アイル駅を開業、93年には羽田空港旅客ターミナル移設に伴い羽田駅(現、天空橋駅)を移設、更に羽田空港駅(現、羽田空港第1ビル駅)まで延伸、さらに2004年羽田空港第2ビル開業に伴い、延伸、2010年に羽田空港国際ビル開業と共に駅も開業した。このため、空港利用客以外にも利用客は増加し、昨年7月に導入された10000系は6両編成となっている。


また、しばらくは各駅停車しかなかったが、2004年に快速運転、2007年には快速運転を空港快速と区間快速に改め、最速18分で浜松町と空港第2ビルを結んでいる。これは平行して走る京浜急行(快速急行で品川~羽田空港17分)との熾烈な客の奪い合いのためで、今後、東京駅までの延伸の計画も出されている。(ただし、まだ本格化はしていない。)

まあ、早いと言っても地上を走る電車ではないため、空港快速でも平均57.7km/hではあるが。しかし、オリンピック開催などで羽田空港とのアクセスがさらに重要な問題になる中、東京モノレールの次なる手が気になる。



満寿泉(富山県)

2014-07-03 05:00:00 | 日記
『きまぐれ酒蔵探訪』その3。今回は満寿泉を製造する枡田酒造店、場所は富山駅から富山ライトレールに乗って終点の一つ手前の東岩瀬駅で降りる。元々はJR富山港線を今の富山ライトレールが2006年に移管を受けたものだが、さらに歴史を遡ると1924年に富岩鉄道として富山口~岩瀬浜まで開業、会社名も富山の『富』と岩瀬浜の『岩』をたしたもので、その後1943年に国有化され国鉄富山港線になり、さらに民営化され、第三セクター化された数奇な運命を持つ。

この終点の手前である東岩瀬の地に枡田酒造店ができたのは明治26年のことで初めは『岩泉』という名前の酒を出していたが、別ブランドの枡田にちなんでおめでたい『満寿泉』を発売したもの。その後、端麗ながらしっかりしたコクのある酒ということで今の酒になったようである。


岩瀬浜からタワーに登ると市内がよく見えるがその中に当社は立っている。岩瀬浜は北前船の寄港地でタワー(富山展望台)をはじめ、この酒藏や森家という廻船問屋、昔からの料亭などなかなか風情があり、町並みを歩くのもコンパクトでなかなか良い。その場合は終点の岩瀬浜駅でライトレールを降りて散策し、東岩瀬駅まで歩くと良い。ちなみに小生はいかなかったが岩瀬カナル会館の白エビづくし会席は美味いらしい。


東京でもデパートなら比較的手に入りやすい酒だが、誰にでも勧められる旨口の酒である。純米酒や吟醸酒が旨く、食中酒として好きな酒で、ラベルにもあるが、『やっぱり満寿泉』は納得の酒である。


交通書房(鉄道グッズの店)

2014-07-02 06:28:15 | 日記

鉄道シリーズ その69。以前に神保町の時刻表や鉄道雑誌を売る古書店を紹介したが、今回は新橋にあ、り交通書房を取り上げる。2006年4月までは新橋駅前にあった古いビルの一角にこの店はあった。このことを知っている人はかなりの鉄道マニアである。小生が初めてこの店を知ったのはまだ高校生の頃で売っている時刻表は高嶺の花であった。

余談だが、2006年にこの店の入っていた古いビルは地上げに会い、取り壊されたが、リーマンショックの影響で業者も倒産。その後、転売され、今は近代的な面白くも何ともないオフィスビルが立っている。

今はというと前の店からレンガ通りを10分ほど歩き、新虎通りを越えた次のブロックのビルの2階に移って営業している。ただ、平日は休みが多いのでよく注意した方が良い。(火曜、水曜、祝日は休み)

店には古い時刻表、鉄道雑誌、切符、サボ、制服などありとあらゆるものが所狭しと並んでいる。中には見切り品で100円というものも。今は時刻表が半額セールなので欲しい人にはチャンスであるが、やはりあれだけ復刻版が出されるとなかなか本物は高くて売れないと店の人はこぼしていた。今回購入したのは1966年10月号で定価は5000円である(もちろん、半額で購入)。また、掘り出し物はブルートレイン『みずほ』のバッジで悩んだ末に1000円で購入。
まあ、マニアに取っては天国、一般人にはゴミの山かも知れないが。

(最後の時刻表は昭和33年10月号)

信濃善光寺(長野県)

2014-07-01 05:00:00 | 日記
古刹をめぐる その17。善光寺と聞いて知らない人はいないであろう。長野市が誇る名刹で西国33箇所・坂東33箇所・秩父34箇所のいずれもの番外札所となっており、前に北向観音のブログにも書いたが、100箇所観音のお礼参りには北向観音とこの信濃善光寺を周り満貫になるとのことである。


このお寺にお参りする場合、長野駅から歩くと途中から参道になり、長野の街自体が善光寺を中心にあることがよくわかる。山道にはお土産物屋や食堂、名物の唐辛子を売る店などが軒を連ねている。最近は小奇麗な物産館的な店も増えて、一昔前のおばちゃんが袖を引くような店はあまりない。

しばらく行くと山門(重要文化財)が見えてくる。昨年夏におとづれた際にはちょうどこの山門が解放されており、登って山道を見ることができたが、その『善光寺』と書かれた額の大きさと参道の長さ、参拝客の多さには驚いた。


この寺はあまり知られていないが、尼寺で旧来の仏教では女人禁制は多かった中で女性の救済をはかっており、、また、宗派が分かれる前からあった寺院として周波とは関係なく主眼のできる道場と位置づけられている。本堂は大きく大変立派な建物で地下の真っ暗な中を鍵を探す戒壇廻りなども行うことができる。また、よく例えで『牛に引かれて善光寺参り』というがこれは長野県小県郡に住んでいた新人のない老婆が軒に吊るした白い布を牛が角に引っ掛けて走っていくのを見つけ、けちんぼな老婆がそれを追いかけたが、行き着いたところが善光寺の金堂の前でここが初めて霊場であることを老婆はしり、悔い改めて新人するようになった故事のことで今昔物語に書かれている。そのため、今も善光寺のお守りとして門前では牛の置物が売られている。

小生もこの老婆と同様にこの善光寺には何度となく通っている。規模だけではなく大きなものを感じる名刹である。