4月8日はお釈迦様のお誕生日。
佐賀市の中心街でも、きょう、明日、願正寺さん中心に、数カ所に花御堂が用意され、仏教各宗派の僧侶方やお稚児さん行列が華やかに行われています。
私が受講した中央仏教学院通信部の「仏教」テキスト(執筆・北畠典生 師)の本文を参考にご紹介しますと、
インド北辺、現在のネパールの釈迦族の王妃マーヤーは、里帰り出産の旅の途中、ルンビニーの園で美しく咲き乱れる花々の美観の中で休息をとっている時、急に産気づいて太子を出産された。
これがお釈迦様で、4月8日だったと伝えられている。出世年代は諸説あり、紀元前6~5世紀頃。
お釈迦様出世の時代、人類思想の黎明期でもあった。中国では孔子、諸子百家と称せられる思想家が出た時代。ギリシャではピタゴラスやソフィストたちを経て、ソクラテスに至る時代に相当する。
釈尊の誕生にまつわる「四方七歩の宣言」がある。
これは、お釈迦様が誕生と同時に七歩歩まれ、四方に向かって「天上天下唯我独尊・三界皆苦我当安之」と宣言されたということである。
この宣言の意図するところは、「迷いの境界は苦悩なので、それらの全ての人を悟りの境界に導き渡す使命と責任をもって我は生まれたのである」それ故「天上天下唯我独尊」である。
だから、この「天上天下唯我独尊」は、決して独善的、傲慢ではなく、あくまで釈尊自身の使命感と真理体現者としての崇高さを表しているもの。
つまり、イエス・キリストをだたの人間と見ずに、神の子と見るのと同様に、人間として生まれた釈尊が、後に悟りを開いて仏(真理に目覚めた者)となった・・・という見方よりも、仏の世界から人間を悟りへ導くために、この世に生誕された・・・と、受けとるのですね。
そうでないと、上記エピソードも、「生まれたての赤ん坊が(七歩も)歩けないだろう」「赤ん坊が『天上天下唯我独尊』なんて、しゃべるわけないだろう」
「それは、ないやろう。チッチキチー」になってしまう。
お釈迦様以外、誰も到達したことのない、真実涅槃の悟りの境地・・・
その正反対の迷界・対極にいる私・・・
私はお釈迦様の説法「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」でお示しくださった阿弥陀如来に全てをお任せする「救い」しか、悟りに至る道はありませ~ん。
花祭りにあたり、あらためて、念仏申します。南無阿弥陀仏
佐賀市の中心街でも、きょう、明日、願正寺さん中心に、数カ所に花御堂が用意され、仏教各宗派の僧侶方やお稚児さん行列が華やかに行われています。
私が受講した中央仏教学院通信部の「仏教」テキスト(執筆・北畠典生 師)の本文を参考にご紹介しますと、
インド北辺、現在のネパールの釈迦族の王妃マーヤーは、里帰り出産の旅の途中、ルンビニーの園で美しく咲き乱れる花々の美観の中で休息をとっている時、急に産気づいて太子を出産された。
これがお釈迦様で、4月8日だったと伝えられている。出世年代は諸説あり、紀元前6~5世紀頃。
お釈迦様出世の時代、人類思想の黎明期でもあった。中国では孔子、諸子百家と称せられる思想家が出た時代。ギリシャではピタゴラスやソフィストたちを経て、ソクラテスに至る時代に相当する。
釈尊の誕生にまつわる「四方七歩の宣言」がある。
これは、お釈迦様が誕生と同時に七歩歩まれ、四方に向かって「天上天下唯我独尊・三界皆苦我当安之」と宣言されたということである。
この宣言の意図するところは、「迷いの境界は苦悩なので、それらの全ての人を悟りの境界に導き渡す使命と責任をもって我は生まれたのである」それ故「天上天下唯我独尊」である。
だから、この「天上天下唯我独尊」は、決して独善的、傲慢ではなく、あくまで釈尊自身の使命感と真理体現者としての崇高さを表しているもの。
つまり、イエス・キリストをだたの人間と見ずに、神の子と見るのと同様に、人間として生まれた釈尊が、後に悟りを開いて仏(真理に目覚めた者)となった・・・という見方よりも、仏の世界から人間を悟りへ導くために、この世に生誕された・・・と、受けとるのですね。
そうでないと、上記エピソードも、「生まれたての赤ん坊が(七歩も)歩けないだろう」「赤ん坊が『天上天下唯我独尊』なんて、しゃべるわけないだろう」
「それは、ないやろう。チッチキチー」になってしまう。
お釈迦様以外、誰も到達したことのない、真実涅槃の悟りの境地・・・
その正反対の迷界・対極にいる私・・・
私はお釈迦様の説法「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」でお示しくださった阿弥陀如来に全てをお任せする「救い」しか、悟りに至る道はありませ~ん。
花祭りにあたり、あらためて、念仏申します。南無阿弥陀仏