お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

哲学者

2007年04月21日 | 本紹介
 さて、「観無量寿経」は、凡夫のための説法。お経ですので、親鸞聖人がお示しの結論から申しますと、私のような凡夫が救われる道は、阿弥陀仏の「本願」にまかせる心ですよ。「南無阿弥陀仏」ですよ。というお経なのであります。

 お経の中身については、私はご説明できるほど勉強しておりません。どうぞ、勧学の先生方の著書をお読みくださいませ。
 と、己の浅学さを誤魔化したところで・・・
 
 今、遅ればせながら、今年2月、46才の若さで亡くなられた 哲学者・池田晶子さんの著書「知ることより考えること」新潮社 を読んでいるのですが、ホントおもしろい 哲学の専門用語を使わず、わかりやすい納得の哲学。
 本の帯に「痛快哲学エッセイ」とありますが、本当にその通り。

 まるで、禅僧の説法を聞いているような・・・ビシッと、スカッと爽やか。
 例えばp47~「探すのをやめよ」
 「自分探し」で「自分にあった」「自分にふさわしい」仕事が見つからない ということについて

 自分なんてものが「ある」と思っているから、人はいつまでもそんなものを探すことになる。いつまでも生きていると思っているから、いつまでも迷うことになるのだ。生きることは死ぬことだとわかるなら、できることしかしなくなる。(略)
 戦後の教育は(略)「個性の尊重」に加え「生命の尊重」、生きることがそれだけで素晴らしいと教え、生きることは死ぬことがあるから素晴らしいとは教えなかった。人間は死ぬものだという事実すら隠蔽した。よって子供たちは、自分というものは、何となくいつまでも生きているものだと思っている。自分らしく、自分の好きなことだけをして、いつまでも生きているようなのが人生なのだと。かくて、彼らはしたくない仕事なんか、するはずがなくなる。

 私、いっぺんで池田晶子さんのファンになりました。
コメント (8)
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