お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

主人公

2007年04月22日 | 仏教
 きょう住職と手分けして同時刻にお参りへ。私は長年総代さんを勤めていただいていたM氏宅の建碑慶讃法要と年回忌。建碑慶讃法要は、今回お墓を新しく建て直されたお祝いの法要。
 本日、ものすごいドシャブリの中、まず、ご自宅でおつとめした後、お墓でも簡単なおつとめを。
 その後、また、ご自宅へ戻って、ご両親の年回忌のおつとめ(聖典をお配りして、阿弥陀経を一同でおつとめ)しました。ご体調をくずされておられるM氏も車いすに座ってご一緒にお参りされました。

 さて、先日図書館で借りた禅語の本に「主人公」と言う言葉が、ありました。

 「主人公」 自分が自分の主人公になっていますか? 

という問で書かれていました。

 「周りの人にどう思われているのか?」「みんながそうするから、自分も」という「周りにあわせる私」ではなく、「私」は「私」である生き方。
 もちろん、私が「私」で生きる、と言うのは、人のことも考慮せずにわがままに生きる意味ではありません。


 これまた、池田晶子さんの「知ることより考えること」のp70 「悪いものは悪い」に、こう書かれていました。

 面白いのは、人は、みんなしているじゃないか悪いことを、とは言っても、みんなしているじゃないか善いことを、とは言わないことである。(略)
 発覚しなければ悪いことは悪いことではないと思っているのも同じ理屈である。善いこと悪いことは、他人すなわち社会のルールにあるもので、自分の中にあるのではないと思っているのだ。

  「私が私の主人公で生きてゆける」と言うことは、自分の心に世間の価値観だけでなく、仏の価値観をもち、仏の価値観にそって、自分はどう生きてゆくか・・・ということだと、思います。

 人の言うことに左右されない、自分が主人公の人生。
コメント (6)
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