三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ドリーム・ホース」

2023年01月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ドリーム・ホース」を観た。
映画『ドリーム・ホース』| 公式ページ | CineRack(シネラック)

映画『ドリーム・ホース』| 公式ページ | CineRack(シネラック)

欲しいのは、胸の高鳴り。イギリス・ウェールズで起きた奇跡の実話をトニ・コレットが熱演。2023.1.6(金)新春ロードショー

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 競馬に詳しくなくても楽しめる作品だが、ある程度競馬を知っている人なら、かなり興奮すると思う。当方はときどき馬券を買うので、お蔭様でとても楽しめた。

 グレートブリテン島はイングランドとスコットランド、ウェールズの3地域に区分されていて、それぞれに歴史的、文化的な特色がある。昨年(2022年)亡くなったエリザベス二世の夫はエディンバラ公であり、スコットランドの都市に因んでいる。
 ウェールズは公用語が英語とウェールズ語であり、民族は言語と切り離せないから、文化的、風俗的にイングランドやスコットランドとは一線を画している。

 現在の競馬先進国のレースでは、ゲートスタートが一般的だが、一昔前までは本作品のレースのようなバリアスタートが行なわれていた。スタートラインの後方に適当に集まり、位置や姿勢が揃ったところで旗を振ってジョッキーたちに合図し、ロープを跳ね上げる。
 ゲートのストレスはないが、スタートの有利不利が大きかった。そのために初期の競馬はスタートの不利を挽回できる長距離レースが多かったのではないかと、当方は考えている。本作品のレースも2マイルから3マイル強で争われている。3200メートルから5000メートルだ。

 馬の走り方は歩様といって、ダク(歩く)トロット(ちょっと走る)キャンター(ジョギングくらい)ギャロップ(全力疾走)みたいな分け方をする。西部劇でカウボーイが乗っている馬の走り方はせいぜいキャンターである。ギャロップは競走馬の走り方だ。
 馬はギャロップではあまり長い距離を走ることができない。長距離レースといっても最大が3マイル程度である。ちなみに日本の中央競馬で再長距離のレースはステイヤーズステークス(中山競馬場の3600メートル=2マイルと2ハロン)である。ある程度以上のスピードで40キロ超の距離を走れるのは人間だけらしい。

 馬主は会社経営や医者、芸能人、スポーツ選手といったイメージだが、一口馬主といって、シンジケートに入れば馬主になることができるシステムがある。本作品は自分たちでシンジケートを作って、町の人々に馬主になってもらい、一緒にその馬を応援するというほのぼのした物語である。ただし、馬主が儲かることは殆どない。
 一頭の馬の活躍がうらぶれた町の人々に希望や活力を与えるという素直な展開だが、郷土愛という下地があってこその応援であり、夢である。国の代表のスポーツ選手を応援するのと似ているが、自分たちですべてのお金を出して仔馬を誕生させて育てるところに、国のやっていることにただ乗っかるだけの国家主義者たちとの大きな違いがある。
 馬は国を背負ったスポーツ選手ではない。自分たちの夢を乗せて走るのだ。ある意味で家族である。だからまず願うのは、勝利よりも怪我をせずに無事に回ってくることだ。母親のような愛情である。そこに無条件の感動がある。田舎町を差別しすぎない競馬の実況や、素人馬主集団をあたたかく見守る新聞記事が、イギリス人らしくてよかった。よくできたエンタテインメント作品だと思う。

映画「非常宣言」

2023年01月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「非常宣言」を観た。
映画『非常宣言』オフィシャルサイト

映画『非常宣言』オフィシャルサイト

2023年1月6日(金)全国公開|第74回カンヌ国際映画祭正式出品 高度28,000フィート バイオテロ発生。それぞれの選択が運命を決める――

映画『非常宣言』オフィシャルサイト

 エンドロールで流れたドビュッシーのピアノ曲「月の光」は、同じテーマのベートーヴェンのピアノソナタ「月光」とは印象がかなり異なる。ベートーヴェンの曲が冷たく青白い月を想像させるのに対して、ドビュッシーの曲は赤くて暖かい光が柔らかく降り注ぐイメージだ。そのせいか、作品の印象が肯定的なものになったと思う。

 プロットはよく出来ている。日常的な小さな出来事がいくつか起こり、それらが次第に大きな出来事であることが判明し、更に互いに関連して急激に極限状況へと変化していく。サスペンスとしては王道のストーリーである。
 説明的な台詞はほとんどないが、役者陣の達者な演技によって物語はスピーディーにわかりやすく展開する。あるシーンはじっくりと描き、あるシーンは役者の表情だけといった、自由で多彩な演出も見事だ。

 知ったかぶりのプロファイリングをする質問者に対して国土交通大臣が答える「世の中には理解不能な悪意が存在する」という台詞が、本作品の世界観の中核をなしている。
 それはつまり、バイオテロリストだけではなく、他人の人権を蹂躙することに快感を覚える人間たちが広く世界に存在するということだ。ネットで他人の人格を否定する人々の多くも、そういう人間たちだと思う。復讐や正義といった理由は、悪意を隠すために後付けされた大義名分に過ぎない。
 韓国でも事情は大差ないだろう。作品中に登場するアンケートの結果は、凡そ半分の人に悪意があることを暗喩している。そしてこの傾向は世界的にも同じなのではないかと、当方は危惧している。戦争に向かおうとするマグマが滾っているのだ。

 鑑賞中はずっと情緒を揺さぶられる感じで、サスペンスとして優れた作品であることが分かる。加えて、各国の人々の自分勝手な悪意を描いているという多層構造になっている。戦闘機に国民の悪意を象徴させたのは秀逸なアイデアだ。しかしアンケートは約半数の善意の人々がいることも示している。未来は必ずしも絶望的ではないということを、ドビュッシーの曲で表現してみせた訳だ。とても面白かった。