三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「グッドバイ、バッドマガジンズ」

2023年01月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「グッドバイ、バッドマガジンズ」を観た。
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「グッドバイ、バッドマガジンズ」横山翔一監督作品。誰もが一度は見たことがあるコンビニの成人雑誌の棚。成人誌という性質柄、雑誌の制作過程はあまり知られていない。そ...

映画|グッドバイ、バッドマガジンズ

 人間の食事は文明が進むほど、単なる栄養補給ではなくなっている。料理は食べやすくしたり消化しやすくするという目的をはるか後方に置き去りにして、美食や栄養食といった文化を形成するようになった。本屋を覗くと、食材の本、料理の本がたくさんある。しかし元はと言えば人間の本能である食欲が、随分と出世したものだ。

 ところが、同じように本能である性欲は、食欲のようにストレートに表現されることはない。映画や文学で性表現を見かけることは時折ある。アパレルで表現される「フェミニン」「コケティッシュ」「マニッシュ」「セクシー」などは、性欲の婉曲な表現だと理解している。性欲に訴えることが商売につながることは、食欲の場合と同じだ。しかし表現はあくまで間接的である。

 ただ、性欲がストレートに表現される場もある。ポルノ映画やエロ漫画、エロ雑誌だ。レストランの料理を紹介するみたいに、モデルや道具や店が紹介される。しかし大っぴらにはできない。電車の中で料理本を読んでも問題ないが、エロ雑誌を開いていると、変な注目を浴びる。場合によっては訴えられるかもしれない。猥褻という概念のせいだ。日の当たる場所にいる食欲に対して、性欲は日蔭者である。コソコソと隠れながら情報を交換するしかない。

 食の好みが人それぞれであるのと同じように、性の好みも人それぞれである。あまり食に興味がない人がいるように、性に興味のない人もいる。もちろん逆の人もいる。性衝動は多かれ少なかれ、人間が本来的に持っているもので、フロイトはそれをリビドーと呼び、あらゆるエネルギーの素になると主張した。しかしフェティシズムは人によって異なる。

 食欲と性欲の決定的な違いは、食欲が物が対象であるのに対して、性欲が人を対象にしているところだ。普段は他人に見せることのない生殖器を使うことだけではない。キスをしたり手を繋いだりすることも、性欲の発露である。ある意味で自分の一部分を他人に委ねるわけだから、多少なりとも信頼関係が必要だ。仕事として出演するAVでも、相手が自分を傷つけたりしないと信じていなければ絡みはできない。

 エロとは何なのか。作品全体を通して問われ続けるテーマだが、はっきりとした答えは示されない。しかし状況は説明される。東京五輪の開催に向けて、コンビニからエロ雑誌が駆逐される。それを紹介するのは日本語の得意な外国人のAV女優だ。エロ雑誌が未だに置かれている個人店のコンビニでは、高齢の男性が毎月のように買っていく。

 殆どの人が興味を持ち、チャレンジしたいと思いながら、知識が不足していたりコンプレックスがあったりで尻込みしてしまうもの、しかし恋愛の涯には必ず行き着くもの、それがセックスであり、エロである。エロはエロス。人間の人間に対する性欲のことだ。対象は必ずしも他人とは限らない。性欲の対象が自分自身に向かう人もいるだろうし、老若男女の多くが他人の性欲の対象となるだろう。

 猥褻という言葉でエロ雑誌が迫害される世の中は、不自由な世の中だ。エロはもっと自由でいい。LGBTの解放は、エロの解放である。いつか町の食堂で食事をするように、気の合った人同士が気楽にセックスを楽しむような社会が到来する時代が来るかもしれないが、現状ではその日は遠い先の未来だ。様々なエロが自由に認められるには、食の安全と同じくらい、性の安全が前提となる。セックスで身体が傷ついたり、望まない妊娠をしたりするのでは、自由なエロは成り立たない。人類のエロはまだまだ進化途中なのだ。

映画「Last film show」(邦題「エンドロールのつづき」)

2023年01月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Last film show」(邦題「エンドロールのつづき」)を観た。
映画『エンドロールのつづき』公式サイト|2023年1月20日(金)公開

映画『エンドロールのつづき』公式サイト|2023年1月20日(金)公開

世界中観客賞を受賞!サマイ、9歳、チャイ売り。恋に落ちたのは“映画”だった―。珠玉のインド映画の数々が彩る、実話から生まれた感動作!

映画『エンドロールのつづき』公式サイト|2023年1月20日(金)公開

 色付きガラス越しの線路の映像や、光の筋に翳した手の周りをホコリが舞うシーンなど、光の使い方がとても見事である。一方では、サマイの母が料理を作る様子を、まるで手品みたいに映し出す。匂いがあり、音がある。当然味もある。どの料理も驚くほど美味しいに違いない。
 サマイにとって、映画は光の魔法だ。知り合った映写技師によると、映画は物語が重要だという。フィルムのコマとコマの間は光を遮断する。それでも映像が繋がっているように見える。残像効果だ。黒い紙にスリットを何本も開けて、下の画像を動かすと動いているように見えるあれである。残像効果を繋げるのは物語だ。
 物語ならサマイは得意だ。その場での作り話を友達に聞かせて楽しませている。多分あれを大掛かりにして、光で魔法をかけたのが映画に違いない。
 学校の教師は映画を作りたいなら、まず英語を習得して、そしてこの町を出ていくことだと教える。この町は古いパラダイムに縛られている。自分はバラモンの家系だなどと自慢している場合ではない。服装も髪型も自由でいい。やりたいことがあるならやればいいのだ。古い町ではそれが叶わない。
 父は悩む。自分は息子の夢を邪魔しているのではないか。古い考えを押し付けているのではないか。もう自分の時代ではない。サマイたちの時代だ。新しい発想、新しい価値観で何かを成し遂げてくれるに違いない。

 原題は「Last film show」である。アナログの映画がデジタルに取って代わられるから、この手作りの上映が最後かもしれない。映写機がスプーンに生まれ変わるのは、その比喩である。これまで手で食事をしていたインドの庶民がスプーンを使うようになった。時代は変わったのだ。

 インド映画と言えばダンスシーンだが、本作品では映画館で上映される映画のダンスシーンで代用されている。過去の映画の巨匠たちのオマージュがあるから、盗用ではない。
 溢れる映画愛をパン・ナリン監督はサマイ少年に具現化してみせた。教師も父親も母も、サマイを一人前の人格として認めている。家系がバラモンだからなのかもしれないが、いずれにしろ、映画を文化として認めたということだ。
 サマイを演じた子役は相当に上手で、演技に無駄がない。他の役者陣もそれぞれの典型を好演。フィルムからデジタルへの過渡期を物語にして描いた、完成度の高い佳作である。

映画「On the line」(邦題「ミッドナイト・マーダー・ライブ」)

2023年01月23日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「On the line」(邦題「ミッドナイト・マーダー・ライブ」)を観た。
ミッドナイト・マーダー・ライブ : 作品情報 - 映画.com

ミッドナイト・マーダー・ライブ : 作品情報 - 映画.com

ミッドナイト・マーダー・ライブの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。メル・ギブソン主演によるシチュエーションスリラー。 午前0時のロサンゼルス。ベ...

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 横断歩道を渡りながら手を振る女たちや変わった名前の警備員、エレベータの表示とカウントダウンのシンクロなど、ディテールをきちんと描いているから、物語に信憑性がある。だから観客は上手いことミスリードされる。当方もまんまとやられてしまった。

 何を書いてもネタバレになりそうで、レビューの書きづらい作品だ。面白いか面白くないかと言えば、とても面白い作品に入るのだろうと思う。穏やかな日常のシーンから始まり、放送局に到着すると不穏な事件が起きて、再び日常に戻ったかと安心する間もなく、急に緊迫感に満ちた展開になる。このあたりの緩急のつけ方は見事だ。音響もいい。
 メル・ギブソン主演にしてはかなりエッジの効いた作品で、凄く印象に残った。