三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ファミリア」

2023年01月09日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ファミリア」を観た。
映画『ファミリア』公式サイト

映画『ファミリア』公式サイト

映画『ファミリア』公式サイト

映画『ファミリア』公式サイト

「ファミリア」は多義的なタイトルである。家族、仲間の意味はもちろんのこと、親しみや馴れ馴れしさの意味もある。見ず知らずの人同士が出逢う縁(ゆかり)の意味もあると思う。

 役所広司が演じる主人公神谷誠治と、彼に関わり合う人々の物語だ。妻と妻の家族、息子とその妻、同じ施設で育った幼馴染、それに近所に住むブラジル人移住者たち。
 では半グレたちの関係性はどうか。地元の有力者の息子を中心に悪事を働く。金で出来る贅沢だけが唯一の楽しみだ。つるんでいれば金儲けが出来るから一緒にいるだけで、互いの精神的なつながりは髪の毛一筋ほどもない。徹底的にビジネスライクである。ヤクザと同じだ。彼らの関係性にはファミリアはないのだ。

 成島出監督らしいヒューマニズムが全編に鏤められていて、愛情や思いやりや優しさが伝わってくる。無私の行為、無償の行為、無条件の愛情は、それだけで感動に値する。対して復讐は偏狭で不寛容な心である。
 誠治と半グレ集団の対比は寛容と不寛容の対比そのままだ。かつて迷惑をかけられたブラジル人青年を助けるために尽力するのは、立派な精神性だと思う。

 オウム真理教が起こした松本サリン事件で、最初に犯人扱いされた河野義行さんがまさにそういう精神性の人だった。長野県警から推定有罪の捜査をされて、本人は言わないが拷問まがいの取り調べもあったと思う。その後疑いが晴れて、マスコミや当時の官房長官の野中広務が謝罪したが、長野県警は最後まで謝罪しなかった。
 当時の長野県知事田中康夫は、驚いたことに、河野さんを長野県の公安委員長に登用した。公安委員会は県警本部の上部組織である。そこでやっと、長野県警は河野さんに謝罪したのだが、とても見苦しい組織だということを全国に知らしめてしまった。田中康夫は普通にまともな政治家というだけだったが、河野さん登用の一点だけで尊敬に値する知事になった。小池百合子には逆立ちしても出来ない登用だろう。
 河野さんはその後、服役を終えて出所した元オウム信者を、庭師として雇い入れ、一緒に入浴したり、親しくしていた。人を恨むのは時間の浪費だという考え方である。大した人格者だ。まことにもって恐れ入る。

 本作品の誠治も、河野さんほどの崇高な精神性ではないが、別け隔てなく人に優しくする。とにかく役所広司が上手い。主人公の誠実な人柄を存分に表現した。流石としか言いようがない。不寛容代表の坊っちゃんを演じたMIYAVIもよかった。映画「ヘルドッグス」の悪役ぶりはやや軽かったが、半グレのカシラにはぴったりだ。

 何本か鑑賞した監督作品や脚本作品の傾向からすると、成島監督の願いは、寛容と優しさが不寛容を駆逐してほしいということだと思う。しかし現代の世界は正反対だ。政治も社会も不寛容がエスカレートしている。日本だけではなく、世界的な傾向でもある。不寛容の最たるものが戦争だ。ウクライナ戦争を例に出すまでもない。
 成島監督は戦争に向かおうとしている世界の精神性を危惧しているように感じる。真の平和は他人を許すことからしか始まらない。いつか寛容と優しさが人類の主流の精神性になる日が来ると信じていなければ、世界に平和は永久に訪れない。本作品は諦め九分、期待一分みたいな印象だが、どこかホッとするものがあった。