映画「新生ロシア1991」を観た。
この映画は、帝政ロシアからソビエト連邦の成立、そして崩壊の歴史を知らなければ、ちんぷんかんぷんの作品である。当時の広場に集まった人々は何に怒っていて、実際に政権の中枢では何が起きていたのか。
2022年2月のロシアのウラジミール・プーチン政権によるウクライナ侵攻から間もなく一年が経つ。ミハイル・ゴルバチョフによるソ連の改革と解体、ボリス・エリツィンの台頭からプーチンの独裁に至る現代史には、ロシア人の精神性が色濃く現われていると思う。
本作品はゴルバチョフのペレストロイカ、グラスノスチという政治改革に反対する共産主義の保守派が1991年8月にゴルバチョフを軟禁したクーデター事件を扱っている。
ソ連は同年1月にバルト三国に軍事侵攻している。ソ連国民はこれに反対して、ゴルバチョフの退陣を求めた。それに乗じてペレストロイカに反対する保守派が政権を掌握しようとした訳だ。同年6月にロシア大統領に選出されたエリツィンがクーデターに反対してゴルバチョフを救出した。一躍英雄となって、ソ連崩壊後のロシアの政治をリードする形になった。ゴルバチョフはエリツィンの独裁的なやり方に懸念を覚えていたフシがあったが、時代の流れには逆らえず、共産党を解党し、大統領を辞任してソ連を実質的に解体した。
本作品で集会に参加した人々が訴えるのは、生活を向上させてほしいという、いわゆる庶民の一般的な願いと、共産主義からの解放だ。「偉大なる同志」であるスターリンによる抑圧的な政治はスターリンの死後も続いていて、ソ連国民を苦しめてきた。これを機に、70年余の受難の時代が漸く終わるのだ。
一方で人々の声の中に混じるのは、ロシアという言葉である。そこには「祖国」という響きがある。ロシア民謡に根深く息づいているロシア人の精神性だ。それは日本人の精神性に通じるところがある。組織や共同体を個人よりも優先する精神性だ。自己犠牲を美とし、善とするから、お上の言うことには逆らわない。ロシア人が長い間の圧政に耐えてきたのは、その精神性によるものだと思う。
本作品は、祖国を愛して礼賛する一方で、個人の生活の向上も同時に願う人々を描く。ある意味で矛盾している心のありようだが、この矛盾がそのままロシアという国の矛盾になっている。
日本も同じで、生活が楽になったり、困っている人が救われる社会を望んでいるにもかかわらず、選挙では国家主義の勇ましい妄言を並べ立てる政治家に投票する。
日本がどんどん貧しくなっているのと同じく、ロシアは一部のオリガルヒを除いて貧しくなった。エリツィンによる急激な資本主義化が格差を生み出したのだ。
本作品はロシアの資本主義への以降の最初期の生々しい様子を、人々の細かな表情とともに伝えている。チャイコフスキーの「スワン・レイク」が象徴的に使われて、当時の人々の、考えの纏まらない乱れた精神性をあぶり出してみせた。