三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「あつい胸さわぎ」

2023年02月01日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「あつい胸さわぎ」を観た。
 
 意外に、と言っては失礼だが、ちゃんと中身のある映画だった。髙橋泉さんの脚本は、台詞が自然で無理がない。ここ数年で観た映画では「ひとよ」「朝が来る」「記憶の技法」を鑑賞した。いずれも演技によって浅くも深くもなる台詞が多くて、監督や役者のポテンシャルが発揮されやすい脚本だと思う。本作品は役者陣が概ね好演で、難しいテーマを日常生活の場面に昇華している。
 常盤貴子がいい。娘に対する真っ直ぐな愛情は、昭子の真っ直ぐな性格そのままだ。自分が人を好きになる性格だから、人も自分を好きになるものだと考えるお調子者でもある。不器用でも、いい人が好きだ。
 大学生になりたての娘千夏を演じた吉田美月喜も悪くなかった。思春期から二十歳すぎまでの時期は、他人が自分のことを理解してくれて当然だと思っている。だから大人が分かってくれないと、いじけたりひねくれたりする。その時期を過ぎると、人と人とは解り合えなくて当然だということに気づく。少しでも理解するためには、話し合って、歩み寄らなければならない。
 
 おっぱいがなくなっても恋愛はできるのか。若い女性にとっては切実なテーマである。乳房の大きさや乳首、乳輪の色や形に悩んでいる女性もいるだろうが、乳房そのものがないこととは前提が異なる。授乳をはじめとした育児にも深く関わる問題だ。千夏は選択肢が複雑すぎて泣けてくる。
 結婚、出産、育児は、現代の女性にとっては義務ではない。してもしなくても人生は送れる。女性には選ぶ権利がある。人間は共同体のために生きているのではない。少子化は全体としての現象であって、個人の責任に帰すべきではないのだ。勘違いしている政治家が多いのは実に残念である。
 
 人格障害または発達障害と思われる幼馴染みのタカシのことは、千夏はこれまで自分とは異質の人間だと思っていた。これまでタカシのことを分かろうとしなかった。大人たちの態度と同じだ。千夏は、おっぱいがなくなったときの自分のことを想像すると、タカシの立場に似ていることに気づく。タカシがコミュニケーション能力が不足していることで差別されているように、自分もおっぱいがなくなったら差別されるかもしれない。しかしそれでも生きていかなければならない。
 
 ラストシーンではタカシが予想外の成果を見せる。そして「なめんなよ」と嬉しそうに言う。そうか、タカシはタカシなりに努力しているんだ。ならば自分も頑張る。千夏は自分に言い聞かせるように、タケシに向かってガンバレと叫ぶ。差別されても強く生きていくんだ。ガンバレ、タケシ。そして頑張れ、わたし。乳癌が出来ても、お母さんは変わらず愛してくれる。世の中にはお母さんのような男性もいるに違いない。千夏は少し大人になった。