映画「ボーンズアンドオール」を観た。
原題を直訳すると「骨ごとまるごと」となる。小魚ならいざ知らず、人間の骨は丈夫で、文字通り歯が立ちそうにない。本作品にあまり感情移入できなかった理由は、食感や嗅覚をはじめとする生理的なものかもしれない。衛生面を考えれば、人間を食べると病気になりそうだ。
食人を扱った映画で印象が強かったのは、昨年(2022)の10月に日本で公開された「ヴィーガンズハム」である。牛が草食動物であることを考えれば、菜食主義の人間は雑食の人間よりも肉が美味しいに違いないと、主人公の肉屋夫婦は考える。ミンチにして成形したりハムにしたりすれば、何の肉かわからないから、場合によっては食べて美味しいと感じるかもしれない。
本作品の主人公たちは、肉屋の食べ方とはかなり異なっていて、肉食獣が獲物をむさぼるように人間を食べる。やっぱり不味そうだ。生理的にダメという人もいるかもしれない。
しかし本作品の主眼は、どうやら食人そのものではなく、人と違う特徴を持つ人間たちのアイデンティティの話であるようだ。
そもそも人は他の生物を食べて生きている。食べ物は、エネルギーを生み出す燃料であったり、潤滑油であったり、または新しい細胞を作る材料であったりする。食べ物が人間以外なら、生理的な好き嫌いを別にすれば、非難されることはない。しかし食人はイコール殺人だ。
共同体が内部での殺人を認めてしまうと、共同体の存続そのものが危うくなる。だからどんな共同体でも、共同体内部での殺人は厳重に禁止されている。共同体内部と書いたのは、共同体の外部での殺人は認められることがあるからだ。状況が戦争なら、たくさん殺した者が英雄として讃えられる。
しかし食人が目的となると、異端であり、排斥される。排斥されないためには、自分の性癖を隠し、欲望を押し殺して生きていくしかない。極めて稀な性癖の主人公だが、そのアイデンティティの危機は、他の生物を食べて生き延びている一般人におけるアイデンティティの危機と、構造的には同じである。
たとえば犬を見るとどうしても食べたくなる人がいたとしたら、犬を殺して食べることが禁じられた社会ではその人は排斥される。だから犬を食べたくても我慢している人が、世の中のどこかにいるのかもしれない。
本作品の食人の欲望は目に見える形で表現されているが、世の中には食人欲を持つ人々が、潜在的に存在しているのかもしれない。食人欲を他の様々な欲望、中でも共同体から排斥される欲望に置き換えてみると、本作品のテーマが見えてくる。
ティモシー・シャラメは本作品でも出色の演技をしている。食人は欲望のひとつであり、食欲は性欲と無関係ではない。だからエロティックな描写も必要だろうと考えていたが、この人の存在そのものがユニセックスなエロスを発散している。本作品にぴったりの役柄だった。