三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「コンパートメントNo.6」

2023年02月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「コンパートメントNo.6」を観た。
映画『コンパートメントNo.6』公式サイト

映画『コンパートメントNo.6』公式サイト

カンヌ映画祭グランプリをはじめ世界中で17冠の快挙!カウリスマキ監督に続く、フィンランドの新たな才能が誕生!2023/2/10(金)より新宿シネマカリテほか全国順次公開

映画『コンパートメントNo.6』公式サイト

 一人旅は思索の路程だ。土地を移動すると、記憶のスイッチが入り、思索が始まる。呼び覚まされた記憶は必ずしも楽しいものとは限らない。落ち込むこともある。閉じこもっていたらそのまま沈んでしまうところだが、旅は否応なしに次の場所に身体を運び、別の記憶が反芻され、再び思索に耽ることになる。旅は脳のリフレッシュだ。

「タイタニックを観たか?」という台詞が出てくるから、時代設定は20世紀の終わりごろだと思う。既に日本では携帯電話が一般に普及していたが、本作品には登場しない。ロシアは貧しい国なのだ。代わりにSONYのウォークマンとビデオカメラが登場する。いずれもフィンランド人のラウラの持ち物である。

 ラウラとコンパートメントNo.6で同室になったリョーハはロシア人らしく祖国を自慢する国家主義の精神の持ち主だが、根性は腐っていない。むしろいい奴かもしれない。驚くのはラウラの我慢強さである。粗野な振る舞いをするリョーハに対して、へつらうでもなく拒絶するでもなく、堂々と対峙する。

 同じユホ・クオスマネン監督の「オリ・マキの人生で最も幸せな日」を鑑賞したときもあまりのめり込むことができなかったが、本作品でも同じような距離感を、自分と作品との間に感じた。感性が違いすぎるのだ。それは登場人物同士の距離感にも通じていて、日本人では考えられないほど他人の事情に土足で踏み込んでいく。踏み込まれた方もそれほど拒否反応を示さない。地続きの国境がある国の人々の強さなのだろうか。それとも厳しい寒冷地に棲む人々の特徴だろうか。

 作品中で年齢が話題になることはなかったが、おそらくリョーハはラウラよりも年下だ。恋愛経験はほとんどなく、かなりウブである。祖国を自慢したり形のない夢を熱く語ったりするところに幼さが透けて見える。
 多分だが、ラウラはリョーハを可愛く感じたのだろう。言ってみれば悪ガキだ。そして年下の男の子だ。真っ赤な林檎は頬張らないが、代わりにウォッカを飲んで寝てしまう。拗ねるし、やきもちを焼くが、肝は据わっている。そして正直で人を信じる。傷心のラウラがリョーハに救われたことは明らかである。

 寒くて暗い映像ばかりの作品だが、この旅はラウラにとって新しい門出となったに違いない。ラストシーンになってやっとラウラに感情移入することが出来た。そこから序盤までを振り返ると、とても優れたドラマだったことがわかる。
 否定するよりも肯定することだ。肯定しなければ前に進めない。寒さをものともしないラウラの人間エネルギーを、確かに感じた。