三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「日の丸 寺山修司40年目の挑発」

2023年02月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「日の丸 寺山修司40年目の挑発」を観た。
映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』公式サイト 2月24日(金)より角川シネマ有楽町ほか全国公開!!

映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』公式サイト 2月24日(金)より角川シネマ有楽町ほか全国公開!!

TBSドキュメンタリー史上最大の問題作が現代に蘇る。没後40周年、寺山修司が改めて問う“ニッポン”。観るものを圧倒する「むき出しのドキュメンタリー」

 

 序盤のインタビューシーンはとても挑戦的で反感を覚えるが、我慢して観ていると、寺山修司の本意が分かってくる。天井桟敷の劇と同じで、世界に対してかなり斜に構えている。そして寺山の日本人観が見えてくる。
 日本人の心は波のない水面のようだ、石を投げればチャポンと音がして波紋が広がる。そのように寺山は言ったという。たしかにのべつ幕なしに主張しまくっている日本人はあまりいない。主張するよりもマジョリティがどちらに動くのか、様子を見ているところがある。
 
 コロナ禍でワクチンを打たせるためにどう言えば人々を打つ気にさせるか、有名な沈没船ジョークをもじったジョークがある。
 アメリカ人には、打てばヒーローになれますと言い、
 イギリス人には、紳士淑女はワクチンを打つものですと言い、
 ドイツ人には、打つのは規則ですと言い、
 そして日本人には、みんな打っていますよと言えばいい。
 
 確かに日本人には、周囲と違うことを恐れる臆病さがある。その逆が「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。政治も護送船団方式だ。多くの人は自分の考えがなく、社会の大勢に従おうとする。寄らば大樹の蔭という訳だ。寺山はそういうところが大嫌いだったのだろう。そして日本人は変わらなければならないと思っていたと思う。「書を捨てよ、町へ出よう」や「家出のすすめ」といった著作には、既存の価値観からの脱却と、自分自身の目で世界を見ろという寺山の日本人への思いが詰まっている。
 
 しかし寺山の願いも虚しく、日本人は二十一世紀の今になっても、相も変わらず精神的に自立していない。一から自分で考えて、自分の結論を信じるという生き方が出来ないのだ。あなたは戦争に行きますかという問いに対する答え方には、みんなが行くなら行くという本音が透けて見える。日の丸も君が代も、みんなが肯定するなら自分も肯定するという調子だ。情けないことこの上ない。
 
 当方は中学生から高校生にかけて、戦争の本をたくさん読んだ。そして関東軍をはじめとする日本軍がアジアの各地に武器を持って押しかけて、日の丸を掲げ君が代を歌いながら、強姦し、略奪し、虐殺した歴史に触れ、戦時中の日本人の行ないを恥じた。そして一生日の丸を掲げず、君が代を歌わないと心に決めた。学校で国旗掲揚とアナウンスされても日の丸を見ず、国歌斉唱の指示があっても椅子から立たなかった。すると不思議なことに、モテた。
 つまり日本人の多くは、自分は大勢に紛れて個の責任から逃れようとするのに、他と違うことを堂々とする強さには憧れるのだ。議論を避け、大声で主張する人間には表立って反論せず、陰でコソコソ悪口を言う。そんな連中にモテても何の意味もない。
 
 中には戦争反対を堂々と主張する勇気のある人もいて、そういう人の言説は人々を勇気づける筈だが、マスコミがそういう人を表に出さないようにしているから、庶民が勇気づけられることがない。ではどうするか。放棄していた自発的な思索を再び始めるしかない。
 戦争の足音は確実に近づいている。世界中にプーチンはいるのだ。もちろん日本の政財界の中枢にも存在する。戦争に反対するなら、どうすれば現実的に戦争を止められるかを真剣に考えなければならない時代なのだ。

映画「エンパイア・オブ・ライト」

2023年02月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「エンパイア・オブ・ライト」を観た。
エンパイア・オブ・ライト

エンパイア・オブ・ライト

現代映画界&演劇界が誇る名匠サム・メンデス監督が満を持して、5度アカデミー賞作品賞を世に送り出したサーチライト・ピクチャーズとタッグを組んだ最新作。舞台は1980年の...

Searchlight Pictures Japan

 冒頭、雪が降る中を歩いて来たヒラリーが映画館の鍵を開け、次々に明かりを灯していく。カウンター、ショーケース、ロビー、そしてスクリーン。映画館の開館準備は、これから映画が上映されるのだという期待に満ちていて、とてもワクワクする。

 タイトルの「Empire of light」の意味が気になる。今のところは「明かりが灯ったエンパイア館」だ。「光のエンパイア館」ではない。「光」は何の光のことなのだろう。

 ウィスタン・ヒュー・オーデンというイギリスの詩人の詩が紹介される場面がある。この詩人については詩集を1冊だけ読んだことがある。「Collected Shorter Poems」として1950年に発表された詩集だ。翻訳は深瀬基寛。大江健三郎が紹介していたので読んでみた。大江の小説「見る前に跳べ」は、オーデンの詩のタイトルのひとつである。本作品で紹介された詩は掲載されていないが、オーデンらしい軽い語り口で人生の本質を縁取って見せた小篇である。

 ヒラリーが「映画を見せて」というシーンが素晴らしい。このシーンに至るまで、様々な「光」が紹介される。大晦日の花火、映写機から出る光と闇。明かりを消した浴室の蝋燭の光。特に映写機の光は、過去と未来を飛び越えて、人間の真実を描き出す。出逢いと別れ、そして時の流れ。ヒラリーには苦痛でしかなかったそれらのことが、映画では迫真のドラマとして光り輝く。

 人生は美しい。それは光に満ちている。光は闇を凌駕するのだ。本作品は冬から夏へかけての情景を描いている。ラストシーンは秋。秋は別れと出発の季節だ。闇の中で生きてきたヒラリーの人生に、漸く光が差したのである。オリヴィア・コールマンの名演に感動した。

映画「Worth 命の値段」

2023年02月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Worth 命の値段」を観た。
映画『ワース 命の値段』公式サイト

映画『ワース 命の値段』公式サイト

2月23(木・祝)公開!『ワース 命の値段』公式サイト。9.11テロの被害者遺族7,000人に補償金を分配した弁護士たちがいた。究極の難題「”命の値段“をどうやって算出するのか...

映画『ワース 命の値段』公式サイト

 9.11の教訓は、アメリカ一強の単独支配の独善性が明らかになったこと、そして超高層ビルのように安全と信じられていた場所が、実はそれほど安全ではなかったことに気づかされたことである。実際にニューヨーク世界貿易センタービルのツインタワーは、武器でもなくただ質量が大きいだけの航空機をぶつけることで跡形もなく崩れ去った。
 航空機をハイジャックした犯人たちは、自分たちの死と引き換えに多くの命を奪うことで、神の敵であるアメリカに対するジハードを成し遂げると信じていたのだろう。太平洋戦争の最終盤の特攻隊と似ているが、生まれたときから信仰の生活をしているイスラム教徒と、取ってつけたような国家主義を押し付けられた少年たちとでは、モチベーションに天地の差がある。
 一般的に社会に暮らす人は、社会貢献の動機はあっても、自己犠牲の精神は青臭いヒロイズムとされる。自分は安全圏にいて、敵だけを殲滅させようと、虫のいいことばかりを考える訳だ。命を捨ててツインタワーに突っ込んだテロリストの行動は、世界中を驚かせた。
 しかしそれでもアメリカは自国の独善を認めなかった。それどころか、息子ブッシュは犯人をイスラム教諸国と勝手に想定して、イラク戦争を始めてしまった。息子ブッシュのポチだった小泉純一郎が尻尾を振って追随したことを苦々しく思い出す。
 
 9.11は大変な被害をもたらしたが、それでも被害を免れた人々にとっては対岸の火事であった。マイケル・キートンが演じたケン・ファインバーグ弁護士もそのひとりである。被害者家族にとって、関わりがない人々が対岸の火事という態度なのは仕方がないが、補償金の分配を決める特別管理人がそういう態度なのは我慢がならない。当然の感情だと思う。
 
 仕事でクレーム対応を担当したことがあるが、先ず解決しなければならないのは感情的な側面だった。こちらが相手の立場になって考えていると思わせることが出来たら、対応は8割方終わったようなものだった。逆に感情的な側面をこじらせると、解決の道は遠のく。
 
 ファインバーグ弁護士はおそらくクレーム対応の経験がないのだろう。初心者が犯す過ちを簡単に犯してしまう。このあたりのマイケル・キートンの演技はとても上手い。弁護士の対応が下手な演技が上手いという皮肉な話だが、クレーム対応には実は演技が必要だ。
 人間は極限状況に置かれると、表情で上手に心情を表すことができない。東日本大震災の被災者がインタビューに答えているときに、笑いを浮かべているのに違和感を感じた人もいるだろう。何度かレビューで説明したが、脳は自分の精神状態が平常を保てるように、笑いの表情を浮かべさせるのだ。そして笑っている自分はまだ大丈夫だと思わせるのである。ホラー映画を笑顔で観たらあまり怖くないという実験結果があるのと同じ意味だ。
 だからクレーム対応時に、被害者に心から同情していても、それだけでは伝わらない。同情している人は特に表情を浮かべることがない。能面のような表情を見て、被害者は敵だと思ってしまう。だから同情しているように見える表情、声のトーン、言葉選びなどが重要だ。
 しかしさすがに、そこまでテクニカルな話は本作品では描かれない。複雑になりすぎるからだ。ただ事務的に処理しようとして失敗した弁護士が、少し成長する話を描く。成長物語というと子供や青春世代の主人公が多いが、常に何かを学ぼうとする人間は、いくつになっても成長する。
 もともと民事の専門家として、ファインバーグ弁護士は民事裁判が個人にとってどれだけ負担になるかを知っている。遺族には裁判で時間を無駄にするよりも、補償金を受け取って、静かで充実した日常を送って欲しいと願っている。だから無償で特別管理人を引き受けた。その気持ちを最初に示すべきだったが、利益を見極めるだけの企業を相手にしている日頃の癖が出てしまって、事態を紛糾させることになってしまったのだ。
 
 スタンリー・トゥッチが演じた知識人チャールズ・ウルフの奥さんは、出かけるときにチキンピカタがあると告げる。チキンピカタは下味をつけたチキンに小麦粉をまぶし、それを卵液に漬けてから焼き上げる料理で、卵が鶏肉をコーティングしてあるから水分が逃げず、冷めても柔らかい。奥さんの優しさが感じられる料理だ。