三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「La Civil」(邦題「母の聖戦」)

2023年02月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「La Civil」(邦題「母の聖戦」)を観た。
『母の聖戦』オフィシャルサイト

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 衣食足りて礼節を知るという諺からすると、本作品では警察よりも軍隊の方が恵まれているようだ。衣食の足りていない警官は、悪党と手を結んで裏の金を得る。それが分かっているから、市民は警官を信用しない。多分実際のメキシコでもそうなのだろう。
 以前中国人の知人に、日本では現金が落ちていたら、結構な割合で警察に届けられるという話をしたことがあるが、なかなか信じてもらえなかった。現金を拾ったら、拾った人の物になるか、警官の物になるかのどちらかだと言うのだ。
 いまでは中国もかなり裕福になっているから、警察に届けられる率が高くなったかもしれないし、警官が着服する率は減ったかもしれない。

 掛かってきた電話の相手を信用するかどうかは、我々は経験則で判断している。疑わないのは知っている番号からの電話で、電話帳に登録していたら画面に名前が出る。万が一、その番号から別人が掛けてきたとしても声の違いが分かる筈だ。知らない番号から知っている人が掛けてきたらどうか。電話番号が変わったと言われれば信じるかもしれない。登録していない番号からの電話を拒否設定している人には、そういう電話は掛かってこない。

 誘拐犯は、先ず自分が誘拐犯だと信じてもらうことからはじめる。誘拐したその日に電話をすると、信憑性が乏しい。数日間監禁したあとだと、不在を心配している家族は誘拐を信じるだろう。誘拐した人の携帯電話から電話をすれば一番確実だ。
 日本ではそういう状況だろうと推測するが、メキシコでは誘拐がビジネスとして日常的に行なわれているから、誘拐だと言われれば信じてしまう。少なくとも本作品の母シエロは娘ラウラの誘拐をすぐに信じた。別居中の夫グスタボの台詞「どうして一人で外出させたんだ」が、現在のメキシコの危険な状況を物語っている。

 警察は信用できないから、自分で解決を図る。しかし相手は悪党だ。身代金だけ受け取って約束は守らない。結局警察に行くのだが、やっぱり何もしてくれない。それどころか、シエロが警察に行ったことを悪党連中に知らせたフシもある。残る頼りは軍隊か。

 メキシコでの誘拐事件の件数には遠く及ばないが、日本でも毎年300件ほどの略取誘拐事件が発生している。誘拐事件の特殊性のために、大きく報じられることは殆どないから、一般には実感がないが、警察白書を見る限り、起きていることは間違いない。

 衣食足りて礼節を知るという諺には、人間の本質の洞察がある。衣食が足りていないから止むに止まれずに犯罪を犯すのが、犯罪者のスタートだ。それがだんだん仕事みたいになっていき、衣食が足りていても犯罪を犯すようになる。取締を強化したり、厳罰化したりしても、犯罪はなくならなかったが、戦後の衣食が足りなかった頃と比較すると、発生率は低くなっている。格差が減れば、刑法犯が少なくなるのだ。しかし格差が広がりはじめている現在、日本では若者が老人を騙すような犯罪が増えはじめている。日本を本作品のような社会にしたくはないと、誰もが思うところだ。

 現在の日本の若者は燃費がいいらしい。贅沢な食事や金のかかる女やスポーツカーやマイホームなどに興味があまりない。それらは昭和のパラノドライブの時代の遺物だ。低所得でもそれなりに生きていける。であれば、彼らが衣食住に困らない程度の生活を政治が保障すれば犯罪率は減ることになる。犯罪が減れば、それに対応する予算も減らせるし、若者たちも、犯罪以外のことをするようになるだろう。その活動は社会を豊かにする活動だ。税収が増える。困っている人たちへの保障も増やせる。そうした一連の方策こそが、本来の意味でのセーフティーネットだろう。