三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Winny」

2023年03月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Winny」を観た。
映画『Winny』|公式サイト

映画『Winny』|公式サイト

大ヒット上映中!東出昌大×三浦貴大 W主演、松本優作監督。ネット史上最大の事件、禁断の映画化!日本の天才はなぜ警察に潰されてしまったのか。

 権力者の一番の目的は、権力の維持だ。もっと具体的に言えば、権力者である自分の立場を守ることだ。歴代自民党政権はずっとそうだった。権力者の立場を維持するためにアメリカの言うことを聞かねばならないのなら、喜んで尻尾を振る。まだ大統領に就任する前のトランプにいち早く会いに行ったアベシンゾーの浅ましい姿がその象徴だ。
 彼らは哲学もなく、論理もなく、科学も重んじない。培ってきたのは流暢な舌先三寸と権謀術数だけである。脅しと透かし、アメとムチ、何でも使って官僚をてなづけ、マスコミに忖度を強制し、財界に同調させる。時として労働組合の姉御とも手を組む。政官財報労のペンタゴンだ。そんな連中がヒエラルキーの上位に居座っていては、国民は自由を奪われ、活気を失って疲弊し、当然の結果として経済は縮小する。

 そんな社会構造の中でWinnyが開発された訳で、その可能性に気づく人々がいる一方、既得権益の保守に余念がない連中は、国民に知らせたくない情報が流出してしまうことを恐れ、開発者も利用者もすべて取り締まる暴挙に出る。
 三浦貴大が演じた壇弁護士は、Winnyの可能性に気づいた少数派のひとりで、なんとしても無罪を勝ち取らなければ、日本のソフト開発に未来がないと判断する。しかし日本の司法はあまりにも行政寄りだ。行政を正面から否定する判決は滅多に出さない。
 Winnyの裁判が長引いた結果、日本のソフト開発は遅れに遅れ、その間にアメリカのGAFAに先を越されて、世界のインターネットビジネスから弾き出されてしまった。サラリーマンはGoogleで検索やファイル共有を行ない、エクセルで計算してアクセスやファイルメーカーでデータを管理する。SNSはGoogleのyoutubeやメタのFacebook、InstagramやTwitter社のTwitterなどに席巻されている。かろうじて生き延びている日本製のソフトは日本の税法や証券取引法に合わせた会計ソフトや労務管理ソフトくらいなものだが、残念ながら海外では使えないガラパゴスプログラムだ。

 本作品を鑑賞して思い起こした方も多いと思うが、近頃話題になっている、高市早苗が総務大臣時代に発言したとされるメディアに対する言論弾圧の構図とよく似ている。もしこのまま高市が議員辞職をせず、放送法の解釈が勝手に変更されたままになってしまうと、日本のメディアは言論の自由を奪われることになる。Winnyの取締りによって日本のソフト開発が駄目にされたのと同じだ。

 そう考えると、本作品がこの時期に公開されたことは、奇跡の時宜だったと言える。壇弁護士役の三浦貴大の演技はとても上手だった。東出昌大の演技はややエキセントリックに過ぎた。実際の金子勇さんはずっとまともでナイーブな人だったと思う。

映画「オマージュ」

2023年03月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「オマージュ」を観た。
映画『オマージュ』公式サイト

映画『オマージュ』公式サイト

映画を愛するすべての人へ。そして、かつて輝きながら消えていったすべての者たちへ――。3月10日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー!

映画『オマージュ』公式サイト

 更年期を迎えようとしている売れない映画監督が、同じような境遇だった女性が監督した60年ほど前の映画の、失われた断片を探す物語である。地味なシーンの連続だが、少ない手がかりを頼りに切れそうな糸を辿るところは、刑事ものや探偵ものみたいな面白さがある。主演女優も地味だが、なかなかいい。

 韓国は儒教の国である。大抵の宗教と同じように、韓国でも儒教の教義は強い者に都合のいいように捻じ曲げられている。上司や親や国家権力などの上位者には逆らってはならず、命令には従わなければならない。つまり強い者が得をして、弱い者が割を食う構図だ。女性や貧しい人は、2023年の現代にあっても、損な立場にいるが、60年前は現代の比ではない。
 本作品の主人公ジワンも、夫や義母、息子からさえも、妻として嫁として母としての立場と義務を求められる。多くの韓国映画で儒教の悪しき解釈が具現化されているのを目の当たりにするが、本作品もそのひとつだ。

 韓国社会は格差を解決する方向よりも、なんとかしてヒエラルキーの上位に行こうと努力する傾向にある。学歴の極端な偏重は、上位に行くための基準が一般化されてしまった結果だ。学歴偏重とセットになっているのが個性軽視である。個性軽視は即ち人格軽視だ。人間をカテゴリに分けて女はこうしなければならない、子供はこうだ、学生はこうだ、会社員はこうだと決めつける。その結果、社会は硬直し、格差が固定化する。

 しかし韓国の映画人は、世界の映画人と同じく、個性や人格を重視する。当方が鑑賞した映画では「パラサイト半地下の家族」「はちどり」「82年生まれ、キム・ジヨン」などが、韓国社会の封建制をあぶり出した作品だ。いずれも優れた映画である。
 本作品はそれらと一味違って、韓国社会の封建的な本質を描いてはいるが、それよりも、ひとりの女性の生き方を深く掘り下げる。過去と現在の二人の映画監督に共通する憂いに、人間社会の不条理が浮かび上がる。ジワンが抱いている閉塞感や鬱屈がよく伝わってきた。