映画「通信簿の少女を探して~小さな引き揚げ者 戦後77年あなたは今~」を観た。
監督を務めたTBSディレクターの匂坂緑里(さぎさかみどり)さんの執念たるや、いかばかりだろうか。大分県の小学校の戦後間もない頃の通信簿。古書店の本に挟まっていたら、誰もが縁(ゆかり)を覚えるに違いない。通信簿の持ち主に会って、話を聞きたい、手渡しをしたいという気持ちが芽生えるのは当然だ。しかしそこから企画を出して、会社を説得して、予算を引き出して、自ら動き、そして6年もの間、諦めずに探し続けたことは、讃嘆に値する。
それほど想像力を刺激する情報が、この通信簿にはある。時系列のままにシーンを繋いだドキュメンタリーだが、時折挟まれる「旅人」三浦透子の解説と仲村トオルのナレーションが、少女を探す旅を盛り上げる。
平壌から2年かかって福岡に引き上げた作家の五木寛之さんが、その地獄のような旅の話を披露しているのを読んだことがある。善意ばかりでは生き延びることが出来なかったと、正直に告白しているのが印象的だった。
戦争は行くも地獄、残るも地獄、兵士も地獄、家族も地獄である。痛みと苦しみと飢えと喪失の日々が永遠に続く。ある者は逃走を図って殺され、ある者は発狂し、あるいは自殺する。正常性バイアスだけが生き延びる拠り所だったのかもしれない。
悲惨な戦争を生き延びた人々を、違った側面からの光を当ててみせたことに、作品としての価値があると思う。戦争で儲ける死の商人がいる一方、当事国の人々で不幸にならなかった人は、殆どいなかったのだ。