三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「通信簿の少女を探して~小さな引き揚げ者 戦後77年あなたは今~」

2023年03月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「通信簿の少女を探して~小さな引き揚げ者 戦後77年あなたは今~」を観た。
通信簿の少女を探して ~小さな引き揚げ者 戦後77年あなたは今~

通信簿の少女を探して ~小さな引き揚げ者 戦後77年あなたは今~

「あの戦争を生き延びた少女に、昭和23年の通信簿を届けたいー」戦時~戦後を生きぬいてきた通信簿の少女を探す中で「日本が歩んだ戦後77年」の断片を体験するドキュ...

BS-TBS

 監督を務めたTBSディレクターの匂坂緑里(さぎさかみどり)さんの執念たるや、いかばかりだろうか。大分県の小学校の戦後間もない頃の通信簿。古書店の本に挟まっていたら、誰もが縁(ゆかり)を覚えるに違いない。通信簿の持ち主に会って、話を聞きたい、手渡しをしたいという気持ちが芽生えるのは当然だ。しかしそこから企画を出して、会社を説得して、予算を引き出して、自ら動き、そして6年もの間、諦めずに探し続けたことは、讃嘆に値する。
 それほど想像力を刺激する情報が、この通信簿にはある。時系列のままにシーンを繋いだドキュメンタリーだが、時折挟まれる「旅人」三浦透子の解説と仲村トオルのナレーションが、少女を探す旅を盛り上げる。
 平壌から2年かかって福岡に引き上げた作家の五木寛之さんが、その地獄のような旅の話を披露しているのを読んだことがある。善意ばかりでは生き延びることが出来なかったと、正直に告白しているのが印象的だった。
 戦争は行くも地獄、残るも地獄、兵士も地獄、家族も地獄である。痛みと苦しみと飢えと喪失の日々が永遠に続く。ある者は逃走を図って殺され、ある者は発狂し、あるいは自殺する。正常性バイアスだけが生き延びる拠り所だったのかもしれない。

 悲惨な戦争を生き延びた人々を、違った側面からの光を当ててみせたことに、作品としての価値があると思う。戦争で儲ける死の商人がいる一方、当事国の人々で不幸にならなかった人は、殆どいなかったのだ。

映画「零落」

2023年03月24日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「零落」を観た。
映画『零落』公式サイト

映画『零落』公式サイト

映画『零落』公式サイト

 肥大した自意識は、時として人格を崩壊させることがある。ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフがその典型だ。本作品は「罪と罰」に似たところがある。文豪の世界的な名作と並べるのは無理があるのは承知している。しかし趣里が演じたちふゆが、デリヘル嬢でありながら素直で洞察力のあるところに「罪と罰」の娼婦ソーニャを想起してしまったのだ。

 斎藤工が演じた主人公のマンガ家深澤薫は、肥大化した自意識を相対化することが出来ないまま、いつまでも思春期のような精神性で大人になってしまった。その辺の斎藤工の演技はとても上手い。
 実はそういう人間は多いと思う。大多数の人間は、肥大した自意識を押し隠し、常識の仮面を被って生きる。大人になるとはある意味でそういうことだ。深澤薫もマンガ家ではなく普通の勤め人になっていたら、大人になれていただろう。
 しかし自意識が肥大しすぎた結果、根拠のない自信を持つに至って、もはや仮面の被りようがない。だから深澤は思ったことをなんでも口にする。普通なら総スカンを食らうところだが、売れているマンガ家は「先生」と呼ばれて、軽んじられることがない。
 ところが売れなくなった途端に世間は掌返しである。再び売れる可能性もあるから、邪険に扱われることはないが、積極的に関わろうとしなくなったことは、深澤にも分かる。自分の自信は何の根拠もなかったことに、生まれて初めて気づいた訳だ。深澤は反抗期のように荒れる。いや、反抗期そのものだ。
 デリヘル嬢ちふゆがニュートラルに接してくれたお蔭で、深澤は少しだけ自分を相対化することが出来た。世界の中心は自分ではないのだ。最初からずっと、世界の中心にはいなかったのだ。

 ネット社会は、他人とあまり接しないから、彼我の差を実感することがなく、劣等感を刺激されることがない。だからますます自意識を肥大させる傾向がある。同時にプライドのハードルは下がっているから、精神的にダメージを受けないまま思春期を通り過ぎる。大人になってからアイデンティティの危機を迎える人が増加しているのだ。場合によってはアイデンティティの危機を迎えないまま、一生を送る人もいるだろう。
 傷ついたことのない人は、他人の痛みがわからないから、平気で他人を追い詰める。ラスコーリニコフはソーニャの優しさに救われたが、深澤はどうだろう。ちふゆの人間性はスケールに乏しくて、深澤を包み込むまでにはいかない。深澤を救うのは、傷ついた人間の命がけの優しさだけだ。そんな作品だった。