三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「The Son」

2023年03月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「The Son」を観た。
映画『The Son/息子』公式サイト

映画『The Son/息子』公式サイト

ヒュー・ジャックマン主演 『ファーザー』監督最新作<本年度ゴールデングローブ賞ノミネート>親と子の〈心の距離〉を描く、衝撃と慟哭の物語|3月17日(金)全国ロードシ...

 精神疾患のある息子と離婚した夫妻の話である。

 父親は自分自身も独善的な父親から人格を否定される言葉を投げつけられた記憶があるにも関わらず、息子に対して同じ言葉を投げつけてしまう。社会に適応しなければ生きていけないからだ。しかし息子は適応できない。母親はそんな息子を持て余してしまう一方で、息子との関わりは続けたい。身勝手な感じもするが、オキシトシンの働きだろう。母親というものは多くの映画でそういう描き方をされている。

 社会に適応しなければ生きていけないという言葉は真実だ。父親から言われて怒りに震えた記憶があるのに、自分の息子にそれを言ってしまうのは、息子に生きてほしいからだ。息子に死んでほしいと望む父親も、ある程度の割合で存在するだろう。中年になっても引きこもりで仕事をしない息子を父親が撲殺したという報道には屡々接することがある。

 自殺は善ではないが、悪でもない。ひとつの生き方である。人身事故で電車が止まったり遅れたりすると、電車の乗客はやれやれとは思うが、死んだ人を非難することはない。なるべく他人に迷惑をかけないに越したことはないが、自殺することはひとつの選択として認められるという暗黙の了解があるからだ。
 しかし自分の家族には不寛容だ。自殺を許さず、社会に適応して、出来ることなら社会的な評価も得て、さらに言えば裕福に快適に暮らしてほしいと願う。それが独善であることに気づかない人は、家族の幸せを願って何が悪いと反論するだろう。実は願っているのは家族の幸せではない。自分の精神の安定と充足なのだ。だから独善なのである。

 ニコラスは病気だ。医者は鬱病だと言うが、精神疾患だけではなく、自閉症などの精神障害もありそうだ。17歳だが、不勉強で世の中のことがあまりよく解っていない。自分が世界の中心ではないことに、まだ気がついていない。父親が母親と自分を捨てたことにすべての原因があると思っている。自省することがないから、何もかも他人のせいだ。

 独善的な親と自己中心的な子供。世の中の親子関係のほとんどがこの図式に当てはまるかもしれない。それでも親殺しや子殺しの事件数がそれほど多くないのは、相手の人格をある程度は尊重しているからだろう。それは善意ではなく、相手を全否定したときの反撃が怖いからだ。保身である。それと妥協。そして諦め。
 ピーターとニコラスの父子は、この図式の典型だ。独善的な父親が自己中の息子を助けようと頑張るほど、息子を追い詰める。驚くことに、父親も息子もそのことに気づいている。気づいていないのは、生きていかねばならないとか、自殺はいけないとかいった、自分たちが大前提としていたパラダイムが、逆に自分たちを縛り付けていることだ。もしピーターがニコラスに、生きたいように生きればいい、人生に意味などない、辛かったら逃げればいいし、逃げ場がなくなったら死んでしまえばいいと教えたら、ニコラスの魂はずいぶん楽になったかもしれない。

映画「コンペティション」

2023年03月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「コンペティション」を観た。
映画『コンペティション』公式サイト3/17(金)ロードショー。

映画『コンペティション』公式サイト3/17(金)ロードショー。

3/17(金)公開!『コンペティション』公式サイト。ペネロペ・クルス×アントニオ・バンデラス競演!スペイン発、映画業界を皮肉る業界風刺コメディ

映画『コンペティション』公式サイト3/17(金)ロードショー

 上映中の映画「シン・仮面ライダー」に主演している池松壮亮が、2003年に12歳で映画「ラスト・サムライ」に出たとき、トム・クルーズからペネロペ・クルスを紹介してもらったエピソードを披露している。抱きしめられると、それまで嗅いだことのない香りがしたそうだ。20年前の話である。
 1974年生まれのペネロペ・クルスは、48歳のいまも美しいが、20年前の28歳くらいのころは、この世のものと思えないほどの美しさだったに違いない。トルストイやドストエフスキーやゲーテや夏目漱石など、歴史的な文豪に彼女を会わせたら、どんな文章で表現するのか考えると、言葉が無限に広がる気がする。
 その後、単なる美人女優から脱却したようで、2021年の映画「パラレル・マザーズ」では、娘を取り違えられ、実の娘を亡くし、間違った娘を本来の母親に返すことで、一度に2人の子供を失った母親の喪失感を繊細に演じきっている。見事な演技だった。

 本作品では才能ありげな映画監督ローラを演じていて、話がとても上手い。曲者の中年男2人の俳優を相手に奮闘するのだが、ひとりは観客を見下している芸術至上主義者イバンで、もうひとりは俗物根性丸出しの拝金主義者フェリックスだ。必然的に2人の俳優は互いにマウントの取り合いをする。しかしローラも負けていない。自分の才能に絶大な自信を持っている。2人の俳優の自信の象徴のようなものをぶっ壊すことで、俗物的な精神の殻を破って、虚心坦懐な演技をさせようとする。その思惑は上手くいくのか。2人の俳優のマウント合戦はどんな結末を迎えるのか。

 設定がアンバランスだから位置エネルギーが自動的に物語を進めていく。そういう仕掛けの作品だ。3人の力関係が微妙に変化していく様が面白いのだが、オーナーも含めれば、映画界の力関係そのものでもある。ローラの自宅のシーンでペネロペ・クルスが脇毛を披露したのも、ひとつの象徴だろう。その意味を考えれば、とても興味深いものがある。

映画「シン・仮面ライダー」

2023年03月19日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「シン・仮面ライダー」を観た。
『シン・仮面ライダー』公式サイト

『シン・仮面ライダー』公式サイト

『シン・仮面ライダー』絶賛公開中 原作:石ノ森章太郎 脚本・監督:庵野秀明

『シン・仮面ライダー』公式サイト

 実は仮面ライダーには詳しくない。菅田将暉や福士蒼汰といった若手俳優が登竜門みたいにその役を演じたことは知っているが、数多あるヒーローものや戦隊もののひとつだと思っていて、テレビも映画も観なかった。
 しかし「シン・ゴジラ」がとてもよかったのて、庵野秀明監督に期待して鑑賞した。一方で「シン・ウルトラマン」みたいな期待ハズレも、ある程度は覚悟していた。本作品は、浜辺美波のバーターと思われる長澤まさみの意味不明なシーンはあったものの、全体としてはそれなりに面白かった。

 予備知識がないので世界観が不明だったが、本編を鑑賞した限りでは、それほど難しい思想ではない。当方が勝手に理解した本作品の世界観は、以下のようである。
 ショッカーの目的は人類の幸福の追及である。追求ではなく追及だ。しかしその基準は異常極まりない。人類のうちで一番コンプレックスが強いカテゴリーを基準とするのである。ショッカーのテーマは、最も恐怖と不安に苛まれつづけている人間たちが救われるにはどうすればいいかということだ。
 よりにもよって、ショッカーは最も短絡的な結論を出す。そういう人間たちに力を与えることだ。プラーナと呼ばれる、人間以外の生物のエネルギーの集合体みたいなものを注入することで、身体能力が飛躍的に向上する。出来なかったことが出来るようになるのだが、その度合いがあまりにも大きいので、喜びを通り越して人格崩壊に至る。他人を従わせるだけでなく、従わない者たちを当然のように排除するようになるのだ。

 コンプレックスの塊みたいな弱い人間が力を得たらどうなるか。ここで、2022年に射殺された暗愚の宰相を思い浮かべた人は、かなりの慧眼の持ち主である。本作品に登場するオーグたちは、あの男と同じく、人格破綻した指導者たちなのだ。ということはそれを作り出したショッカーという組織は、人類そのものということになる。
 池松壮亮が演じた本郷猛は、戦いに向かない優しさの持ち主である。それ故にショッカーをドロップアウトして、人格破綻者たちと闘う羽目になってしまった。そして、究極の強さとは闘わない優しさであることを示す。本作品の世界観には、そんな一面があると思った。