三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「正欲」

2023年11月12日 | 映画・舞台・コンサート
映画「正欲」を観た。
正欲 : 作品情報 - 映画.com

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正欲の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウの同名ベストセラー小説を、稲垣吾郎と新垣結衣の共演で映画化。「あ...

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 2016年公開の映画「何者」と同じ、朝井リョウの原作である。本作品でも同じように既存の価値観と自分のそれとの乖離に悩む人間たちがテーマだ。
 対極にある世間の代表として、稲垣吾郎の検事を登場させる。自分の想像力の及ばない範囲は、理解しようとせずに頭から否定する。スクエアという表現がピッタリの人間だが、ラストシーンに向けて、若干のナイーブな面を持たなければいけない。その演出にかなり苦労した様子が窺われる。ただ、こんなにブレるようなら、ラストシーンを変えて、最初から最後までゴリゴリのスクエアな人間で通してもよかった。

 価値観の乖離にも幾つか種類があって、学校に行くことに抵抗があって、自宅で学ぼうとする子どもたち、既にユーチューバーとしてアフィリエイトで割と稼いでいる小学生がお手本だ。それにLGBTQの権利を求めてデモ行進する人々。謂わば、世間とは乖離してはいるが、肯定的な価値観の人々だ。
 しかし本作品の主眼は、別の価値観である。それは否定の価値観だ。人生に意味はない。世界に意味はない。しかしそれを主張したくもないし、他の人々を否定したくもない。なにより他人と争いたくない。世間とは価値観が異なるとはいっても、自分を肯定する価値観の人々とは、一線を画している。
 子供は可愛くない。どうせすぐに嫌な大人になる。結婚は幸せの形ではない。3組に1組は離婚するのだ。誕生日はめでたくない。死に一歩近づいただけでなく、頭や体が不自由になる日に近づいている道標なのだ。どうして世間は何でもかんでも肯定するのを是とするのだろう。
 子供に、人生に意味はない、世の中に絶対はなく、すべてが相対的だと教える人は滅多にいない。未来のある子どもたちに否定的なことを教えるのはよくないという世間の価値観がある。しかし、みずから悟る子供もいる。若いニヒリストの誕生だ。

 世間はニヒリズムに対して寛容ではない。肯定は肯定されるが、否定は肯定されないのだ。肯定的な人々が肯定的に作り上げた文明世界である。世界を否定するのは人間を否定し、歴史を否定し、人類を否定することだ。断じて認められない。自殺も認めない。それが世間である。
 世の中に絶対がないことに気づく聡明な子供は、世間の価値観には大人しく従う態度を見せるしかないことを知っている。世の中はすべて馬鹿と阿呆の絡み合いだと思っていても、それは口にも顔にも出さない。大人になってもその姿勢は崩さない。生活にも仕事にも支障があるからだ。
 そういう人は、実は多いのではないかと思っている。しかし誰も表に出さないから、数えようがない。本作品で磯村勇斗と新垣結衣が演じた役柄の精神性に共感できる人は、隠れニヒリストと言えるだろう。その意味で、センセーショナルな作品となるかもしれない。

 磯村勇斗は凄くよかった。この人の役柄の掴み方と演じ方には、天性のものがある。新垣結衣は元気で肯定的な役が多い印象だが、今回は三白眼で睨みつける。ニヒリストとして人生をやり過ごす生き方に、やや迷いがあるところもいい。カメラワークも演出も見事で、かなり心を揺さぶられるものがあった。

映画「火の鳥 エデンの花」

2023年11月12日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「火の鳥 エデンの花」を観た。

 兎に角、手塚治虫の壮大な世界観に圧倒される。登場人物は賢い女性たちと、愚かな男たちだ。女性たちは現実を受け入れ、男たちは他人と自分を比較し、現実を否定して欲しいものを手に入れようと、互いに争う。戦争も環境破壊も、常に男たちの欲望に由来するのだ。そして自業自得で世界を滅ぼし、それでも人類の存続に執着する。
 女たちは、自己複製のシステムという生命の本質に従って、子供を産む。かつて恐竜が絶滅したように、人類も絶滅するのは必然だ。それでも子供を産む。人はそれほど長いスパンでものを考えない。希望も絶望も、自分が生きている数十年、せいぜい100年の間のことだ。10万年前のことを後悔したり、5万年後のことに絶望したりしない。子供も同じだろう。

 故郷という幻想は誰にでもある。それは祖国という幻想に結びついて、共同体同士の争いの動機になる。ロミの故郷は、地球なのかエデンなのか。
 エデンというネーミングから、手塚治虫が旧約聖書を意識していたことは明らかだ。アダムとイブの物語を、宇宙規模で再現してみせた。人類のはじまりと終わり。終末は常に男たちがもたらす。
 地球と同じように、エデンにもいつか終わりが来るだろう。ズダーバンは蛇だ。ロミには分かっている。それでも再びイブになる。壊すことは創ること。終わりがあれば、次のはじまりがある。生命は自己複製のシステムだ。絶滅するその日まで、子供を産みつづける。

 相対性理論の双子のパラドックスが紹介されているところから、手塚治虫は宇宙旅行について、相当調べたのだろう。火の鳥の最後の発表は1986年で、ホーキング博士の宇宙論が出版されたのが1988年だから、宇宙の膨張と収縮について触れられなかったのが少し残念だ。

 希望や絶望や後悔は人の一生にほぼ等しい期間に限られる。しかし人間の想像力の時間軸はどこまでも延びていく。ホーキングの想像力は、150億年前の宇宙や、150億年後の宇宙まで及ぶ。理論が数式で記述されているので、当方に理解できないのが非常に残念だが、手塚治虫なら、さらに広大な宇宙の時空間を舞台に、人間の物語を紡いでくれたかもしれない。
 死んで花になるなら、花の惑星はエデンの次の姿かもしれない。手塚治虫の想像力は時間軸を自由に飛び回る。土の恐竜は、ジュラ紀の遺伝子が地殻に受け継がれた証だろうか。

 宮沢りえは、少し前に公開された主演映画「月」ではなくて、声優を務めたこちらの作品ばかり宣伝していた。ちょっと不思議に思っていたのだが、本作品の鑑賞後には、その理由が分かる気がした。