映画「As bestas」(邦題「理想郷」)を観た。
映画『理想郷』公式サイト
2023年11月3日(金・祝)Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下・シネマート新宿ほか全国順次公開 | 第35回東京国際映画祭3冠受賞!衝撃の心理スリラー
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スペインの男は馬を素手で倒して焼印を押して放つというテロップと共に、三人の男が馬を捕まえようとする冒頭のシーン。何の意味があるのかと訝っていた。それに原題の「As bestas」は野獣の意味合いだと思うが、どういう意図でタイトルにしたのかも分からなかった。
夫のアントワーヌが登場すると、なんとなく理解できる気がした。100キロはありそうなガッチリした体格で、確かに抵抗力はありそうだ。
スペインの風景は美しいが、夜は闇だ。それが不思議だった。こんなふうに街灯もビルの明かりもない開かれた場所は、晴れた日の夜は星が降るように見えるはずだが、どの夜も闇夜だった。
アントワーヌが酒場で話す話は、酔っ払って彷徨って道端で寝てしまい、起きたら一面の星空だったという内容だ。なるほどと思った。美しい星空はその一度きりで、移り住んでからのアントワーヌの目に映るのは、闇夜だけなのだ。
移住は簡単ではない。人間が地球は自分たちのものだと勘違いしているのと同様に、先祖代々同じ土地に住み続けている人々は、その土地が自分たちのものだと勘違いしている。
移住者は彼らにとって、言うなればエイリアンだ。価値観は相容れず、恩恵よりも害悪をもたらしかねない。排除の衝動は自然に湧き上がる。
アントワーヌとオルガが溺愛して育てた娘は、他人の気持ちが理解できない一元論者になってしまった。自分だけが正しくて、反対する者はみんな間違っていると主張し、牽強付会の理屈で自己弁護する。ヒトラーとそっくりだ。
フランスの若者の一部が極右化しているニュースがあるが、多様性を認めない点で、娘の思想は既に極右である。娘は、周りの人の殆どは自分に賛成だという。自己正当化の発言だが、もし本当にその通りであるなら、フランスの極右化はかなり深刻だと言える。
不自由な精神性に満ち満ちた作品である。登場人物に共通するのが、余裕のない苦しい生活をしているところだ。衣食足りて礼節を知るという諺は、ここでも正しい。余裕がないから利己主義になり、不寛容になる。
人は誰でも明日のことを考え、不安になり、恐怖を覚える。イエスが「明日のことを思い患うな」と言ったのは、人間を不安と恐怖から解放するためだったが、二千年経っても、相変わらず人間は明日のことを汲々と思い悩んでいる。ヒトラーがつけ込んだのは、まさにそういうところだ。
人間が不安と恐怖から解放されて、寛容な社会環境を確立する日は、永遠にやってこない。そんな気がする。