映画「NO選挙,NO LIFE」を観た。
フィーチャーされた畠山理仁(はたけやまみちよし)さんは、映画「センキョナンデス」の続編で沖縄知事選を扱った「シン・ちむどんどん」に一瞬登場した。もしかしたら「センキョナンデス」にも出ていたかもしれない。見逃した可能性はある。本作品の冒頭で、畠山さんが着ていたTシャツに「センキョナンデス」のロゴがあった。
畠山さんは夕刊紙「日刊ゲンダイ」にも寄稿していて、フリーランスのジャーナリストを差別する参政党に対する怒りの下りは、昨年読んだ記憶がある。
舞台挨拶で前田亜紀監督が言っていたのが、畠山さんは普段はとても穏やかな方で、長野まで蓮舫に話を聞きに行って、たった20秒でも話を聞けたことが大きな収穫だったとにこやかに笑うほど屈託のない人だという話だが、その畠山さんがただひとつ、怒りを露わにするのは、アンフェアに対してらしい。参政党に対する怒りはもっともだ。
選挙のたびにすべての候補者をもれなく取材していたら、運動期間が限られていることもあって、スケジュールはタイトで殺人的にならざるを得ない。身を削ってまですべての候補者を取材するのも、根っからのアンフェア嫌いに由来するのだろう。有力候補も泡沫候補も、同じように取材する。畠山さんは泡沫候補という言葉は使わない。無頼系独立候補だ。よく考えられたネーミングであり、立候補する人々への尊敬の念が表れている。
選挙のたびに自民党が大勝して、その度に貧しい人はより貧しく、困っている人はさらに困る状況に落とされる。日本の有権者に絶望してもいい話だが、畠山さんは絶望せず、選挙に希望を持っている。それが殺人的スケジュールをこなすバイタリティにも通じるのだろう。いやはや、頭が下がる。